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時は8代吉宗の時代です

筑後国久留米藩21万石の殿様である

以前、西日が強烈な田楽長屋に住んだ下級藩士の生活を

紹介したが、今回は彼らからすれば、恐らく顔も見たことが

ないであろう殿様が主人公です

有馬火消行列図

企画展「久留米藩領文化ー祈りのかたち・風雅のこころー ...

久留米藩有馬家の特徴というと江戸で一番高い火の見櫓、

そして御利益があると有難たられた水天宮です

特に、水天宮はお賽銭が非常に多く藩の財政も助けた

増上寺裏手にあった赤羽根橋

向う岸に見える幟は「情け有馬の水天宮」と江戸一高い火の見

[芝赤羽橋之図]を新しいウィンドウで開きます。

絵の幟は、水天宮の幟で毎月5日に門を開放して

御利益を願う一般人をお参りさせた。

年間3千両に上ったという御賽銭は藩の財政を潤したと

いいますから神の御利益です。

 

江戸っ子の地口に「情け有馬の水天宮」とある。

文政元年(1818)に国許の水天宮を勧請したのが始まりで、

当初は庶民の参詣を許していませんでした。

ところが、塀越しにお賽銭を入れていく人が絶えない所から、

日を決めて毎月五日に参拝を認める様になり、大勢の人が

安産・防火・水難除けの御利益があるとされた。

 

しかし、主人公の時代は貧乏なものでした

当時、借金大名として知られる大名というのは5家有った

宇都宮戸田家、平戸藩松浦家、長州藩毛利家、庭瀬藩板倉家、

久留米藩有馬家。

番外編 江戸時代の錦絵に描かれた大名屋敷の色々

殿様は家来に対して、大名というのは借金では潰れぬが、

嗣子が無ければ滅びる、これが口癖だった

当然の事ですが、武家の場合は跡取りが無いとこの当時は

大名など親藩、譜代、外様などはドンドン改易されて

武士、家族、奉公人などは禄を失うと路頭に迷います

だから、浪人が増えてしまいその結果、島原の乱とか

由井正雪の乱などが起きて世を騒然とさせた

結果、幕府はこれはいけないとして、制度を緩めて、矢鱈と

大名を潰さないことにした。

しかし、大名にとっては恐怖心は今でもあります

 

事実、有馬家では2代前の時に藩主が21歳で急死し、

藩は騒然となった。

若い藩主には嗣子が居なかったからだった

これは、もはや駄目かと藩内では諦めていたが、しかし、

思いもかけぬ事が起きた

将軍綱吉が鶴の一声、分家の子を相続させよ!

更に、準国主級であったのを国主に引き上げてくれたのです

この辺は、5代綱吉というのは歴代では珍しく独裁であったので

将軍の声が通ったのでしょう

8代吉宗は綱吉を尊敬したようで、自分の墓も綱吉の

近くにしたくらいです

年表付】徳川吉宗とはどんな人?行なった改革やエピソード、妻も ...

この果報に狂喜した有馬家は、綱吉の温情を忘れぬために

拝領のお犬様を参勤交代の行列の先頭に立てて、

江戸久留米間292里を往来した。

百余年、綱吉が与えたお犬様の行列は江戸でも

大いに話題になった。

久留米藩 - Wikipedia