伏見氏は何か苦手というと泳ぎが嫌い。

でも6年生になると夏休みに沼津の遊泳場で10日間くらい

合宿があって水泳をしなくちゃならないカリキュラムがあった

これも行ったというか行かされた。

 

午前中は授業があって、昼食の後30分昼寝して、それから

水泳の時間。

ところが不思議なのですが、これが昼を食べるとお腹が痛くなる。

それで先生に申告すると、先生は「それでは殿下ゆっくりお休みください」

ということになった。

だから結局一度も泳がなかった。

心身を鍛える学校行事 ~学習院中等科・高等科~ :特集: 学習院 ...

水泳の講習は独特のもので、小堀流といい手に扇とか持って

足だけで進むものだった。

これは江戸時代、御家人が大川での将軍上覧の為に

習い覚えた泳法でしょうか?

 

御徒組の水練練習

メタボンのブログ

夏になると将軍の上覧があるので練習します。

上覧の時の水練の内容は筆で扇に詩を書いたり絵を描くのである。

此の扇は将軍に献上する。

甲冑を着て泳いだり、2人で組んで泳いだりして、

将軍から唐花の御紋の帷子を貰うのが常であった。

 

過去に水死した例もあったというが、水練に熟達している御徒が

水死するはずが無いというのが幕府の立場であり、

水死しても絶家にならない。

戦そのものですね。

但し、練習ではなく水泳をしていて溺れて、その結果

廃家になった武士もいる。

武士にあるまじき事であるのが理由である。

武芸未熟ということです。

 水練
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沼津の宿舎は古い建物で、蚊帳をつって寝る

トイレは外で庭に出て随分歩かなくちゃいけない。

夜は真っ暗になるし怖いから友達を起こして一緒に行った。

 

あと四谷の初等科では競走の恒例行事があり、初等科から

国道246沿いの虎屋の前まで行って、そこで札を貰って帰って

来なくちゃいけない。

片道で1㌔くらいですが、自分の家の前を通るのが馬鹿々々しくて

友達に頼んで札を貰ってきてよと頼んで貰ってきてもらった

その間、赤坂離宮の守衛所に隠れてました

赤坂離宮

東京回顧図会 赤坂離宮 | ToMuCo - Tokyo Museum Collection

4年生になると戦争がはじまる

「最初は凄かった。日本がシンガポールを占領した。と

大々的に報道されて、其のたびに向こうのデパートに

あったものを全部持って来まして、コンビーフの缶詰が

海軍省から小さな部屋一杯になるくらい来たり、

ボタンを押すだけで音楽が流れるポータブルラジオは初めて見た。

車も戦利品とかでクライスラーが1台手に入った。

あれだけ横文字にケチをつけてた東条英機もビューイックの

オープンカーに乗ってんですからおかしなものです。」

 

鬼畜米英で英語禁止になり全て日本語に替えられた

野球の投手の投げた判定、ストライクは「良し」

ボールは「ダメ」といった具合です

 

太平洋戦争2年目の昭和17年になると皇族学生の教育の

強化が図られ、翌18年には中等科2年の久邇宮と初等科5年の

伏見宮、李宮家が揃って静岡県で合宿し、学習と座禅を行った。

久邇宮の回想によると「皇族の生徒だけで禅寺で3,4日の

合宿を行い、座禅を何度かし警策で背中をバシッとやられた。

こういう世界があるのか、良いものだと思って、

それから家でも坐ってみたりした。」

Seikenji temple-02.JPG

禅寺とは徳川家康が今川家の人質として少年時代を

過ごした名刹の清見寺で、

真っ暗の中で座禅を組んでると、鼠がチョロチョロ出て来て、

鼠が出たら流石に動くでしょう。

そうすると背中をバシッと叩かれるのです。

殿下だろが何だろうが遠慮なく容赦なくやられました

 

丁度この頃の話です

加賀前田家の話です

似たような世代の前田侯爵の娘です

前田美意子

元華族たちの戦後史』 著:酒井美意子 - garadanikki

慶喜の孫の喜佐子は1921年、前田美意子は1926年、

伏見宮は1932年生まれで大体同じ時代の空気を吸っていた方です

女子学習院中等科の学生だった頃、同じ旧大名華族の娘の

級友と幕末の前田家について次のような会話をしたという

美意子「だけど幕末には目覚ましいご活躍だったでしょう?」

級友「まあ、幕府に長年の恨みをはらすためにね。

    あのとき前田さんは、だいぶあとになってから

    朝廷側におつきになったのね」

美意子「そうなの。だって将軍家とは親類でもあったし、

     うかつには動けなかったらしいのね。 

     うちの父がいつも申しますの。 

     あのとき立ち遅れたのはまずかったって」

級友「ほんとね。だから論功行賞で損なさったのよ。

    もっと早く兵を挙げてらしたら、侯爵マークイス

    ではなく、当然公爵プリンスだったというお噂ね」

 

参考までに

明治17年華族令

公爵  五摂家、徳川宗家、国家に偉勲の有る者

     他に島津・毛利・三条。

侯爵  精華家・御三家・大藩諸侯(15万石以上)

伯爵  堂上家・御三卿・中藩諸侯(5万石以上)

子爵  堂上家・小藩諸侯(五万石未満)

男爵  維新後華族に列せられたもの、国家に偉功のあるもの。

 

喜佐子も美意子も伏見宮も学習院の幼稚園を経て

初等科、中等科を卒業してる

しかし、それぞれの本には互いに全く無関係であったようで

触れてることはない。

 

参考までに江戸時代、公卿の娘は将軍家との婚姻が目立つが

加賀前田家百万石は、ブログの江戸徒然日記によると、

11代藩主までは徳川(松平)姓との婚姻であるが、

12代藩主で初めて公卿の娘を迎えている。

関白・鷹司家でした