蚊を防ぐ方法として信じられていたのに
「部屋の隅に雁の絵を描いて置いておく」のがありました。
又、雁の形に切り抜いた紙を張り付ける
由来は判然としない。
一説には、長崎在住の清国人から来たらしい
糸に蝙蝠の血を塗り、それを蚊帳の取っ手の所に
縫いつけると、蚊が寄り付かないという。
そこで蚊帳に蝙蝠の絵を描いて貼った事から来ていて
それを見て広まったともいう。
いつしか、蝙蝠が雁に変ったらしい。
演出家の宇野信夫氏は、回想録で「学生時代の私は、
浅草の橋場に住んでいてよく浅草の芝居や寄席に通った。
橋場から浅草に行くには歩いて20分くらいである。
近道を選んで路地を抜けた。
路地の子供たちは線香花火、入口に雨戸を立てて
行水を使う家もある。
どこでも蚊燻しをたくので、その煙が濛々と
立ち込めて先が見えないくらいでした」
「蚊遣り火の馳走ありがた涙なり」
今のような殺虫力の強い除虫菊の蚊取り線香は
生憎、明治になってです。
江戸時代は、蚊が嫌う?という楠や榧の屑を燻した。
但し、これは金持ち用で、貧乏人は、松や杉の青葉でした
現代も有るが長屋で生まれた言葉に、「礼金」がある。
元々は土地を貸したり、借りたりした時、或いは長屋に
引っ越してきた時、家主へ「樽代」というのを出して
挨拶することが習慣でした。

引っ越しの挨拶に蕎麦を配るようになったのは江戸時代中期、
それまでは、小豆粥とか餅を配ってたが、
ちょっとした挨拶なのに丁寧すぎやしないか?という思いと、
もっと安上がりな挨拶はできないか?という思惑から、
安い16文の蕎麦に白羽の矢がたったようです。
向こう三軒両隣と大家に蕎麦が配られました。
或いは、蕎麦屋が発行した蕎麦券もありました
食べたいときにいつでも食べられるので便利でした
長くお付き合いをお願いします
「長野更科蕎麦よりも わたしやあんたの傍が良い」
礼金は表通りに面した表長屋では3から5両、
裏長屋では2朱か1分、それ以外にも、5節句の人日、
上巳、端午、七夕、重陽は借りてる人は、
その内容にもよるが、節句銭を進呈した。
裏長屋だと40~50文、地借人では2朱とか1分を出した、
又、引っ越しの時は蕎麦を配る。
向こう3軒両隣、合わせて5軒、家主には7つくらい、
勿論、余裕のない方は当然気持ちだけでした。
というより裏長屋ですから、生きていくだけで一杯の人が
多かったのですから、当たり前ですね。
「ほころびと 子を取り替える 独り者」
独身の男は針仕事など出来ません
少しくらいの綻びは縫うのが当たり前の時代、
買うなど以ての外です
着物のほころびを隣のカミさんに縫って貰う間
子守りをします。
褌の洗濯もお願いします
洗うのは何となく惨めな感じで、かといって汚い褌を
はくのは江戸っ子の名折れです。
