
江戸時代でも、自治会なども交代で当番を決めて、
当番が中心になって長屋の決め事を処理した
当番が出来ない場合は、翌月の当番が手伝う
落語の「黄金餅」で見てみる
粗筋は、裏長屋に住む西念という坊主が死んだので、長屋の
連中が遺体を麻布の寺まで運ぶことになった
家主「担ぐのは今月の当番と来月の当番で担いでおくれ。
今月の当番は誰だい?納豆屋さんかい?来月は?
下駄の歯入れ屋さん?
じゃ、納豆屋と下駄の歯入屋でかつがなくちゃいけねえ」
「へつ、よくお前と俺で担ぐなぁ」
「そうだよう、この間、海苔屋の婆が死んだとき、お前と俺で
担いだなぁ、これで2度目だぜ」
「そう」
「もう一遍、誰かこれ、担ぐようになるだろうなぁ」
「誰を担ぐことになるだろうなぁ」
「大家さんじゃねえか」「冗談言うなよ」
この黄金餅という噺は、死んだ坊主の西念は貯めた黄金を
餅に入れて呑み込み死んでしまう
是を見た長屋に住む味噌売りの金兵衛は、火葬場で西念の
腹だけ生焼けにするように交渉し、翌朝、こっそり腹を断ち割って
金を取り出し、その金を基に餅屋を開いて繁盛したという噺である。
井戸替え

月番はこうした不祝儀や、又、祝儀の際の銭集め、
溝浚い、井戸端、便所、掃きだめの掃除、そして大事な
井戸替えの事もあった
江戸の井戸の大方は、上水道を使って給水される末端の
水汲み場ですから、いっせいに掃除しないと、汚れた水が
次の樋を伝わって給水されてしまいます。
長屋などでは、大家の指揮のもと住人総出で、
井戸の水をすっかりくみ出し、
一年間にたまったゴミや落し物を拾いあげます。
稀に簪などが落ちてる時もある
そういう時は、拾った人のものです
特定できないと思われるからです
勿論、鼈甲や黄楊の櫛などは間違っても出てこない。

それが終わると、水神さま、井戸の神さまに、
お神酒とお清めの塩をお供えします。
また、地域によっては、七夕に素麺を食べますから、
「井戸替えの素麺」といって、
素麺をお供えするところもあるようです。
下町は、埋立地ですから、井戸を掘っても塩っ気が強くとても
飲み水に出来ません。
洗濯や洗い物、掃除くらいしか使えず、やむなく庶民は売りに来る
水を買いました。
現千代田区丸の内1丁目の東北隅にあった道三堀の銭瓶橋
(最初に銭湯ができた場所。
水を汲み易かったのですね)付近に、玉川・神田上水の余った水を
放出する口が有り、この水を汲み水船で運び深川。本所方面で
販売しました。
水屋が回って歩く光景は、1836年刊、為永春水著「春告鳥」に
描かれています。
本から抜粋
此ノ時(午前十時)の鐘ボヲン ボヲン
水屋「今日は、ようございますかな。水屋でございます」
りき「水屋さん。看て入れておくれよ」
水屋「ハイハイかしこまりました。水や宜しう。
はい、半荷の口もございましょう」
一荷とは、天秤両端の桶
1荷の水の値段は4,5文程度。
水は必需品ですから買わざるを得ませんから、
水代だけでも馬鹿になりませんでした。
もし、良質な水が出る井戸が有ったら、それは大変貴重なものとして
扱われました。
長屋で3、4人家族でしたら水は1荷4文、毎日使いますので
1ヶ月で1500文水代が掛かります。
稼ぎの良い大工の日当の3日分です。
ただ、上水道も記録を見ると時々ですが、油が混じっていて
茶が立てられずとか吞めないなどといった記述もある。
これは、中に死体が有ったということで、井戸に身投げをするというのは
もう水が飲めないという事ですから、有りえない話ですが、
しかし、実際は有ったようです。

大名屋敷の遺跡からは、時に古井戸から張型が
発掘されるそうだが、残念な事に考古学者では
これは何であるか判らないそうです
月番の仕事として木戸の開閉もある
普通は明け6つ(午前6時)頃開けて、夜の4つ(午後10時)
に閉める
但し、大家が開閉する長屋もあり、そうしたところは帰りが遅れると
煩かったでしょう。
そこで生まれた川柳
「跡月も やらねば露地もたたかれず」
先月の家賃を払ってないので、木戸を叩いても開けてくれない
そして家賃を払うと
「店賃済んだか 露路のたたきよう」

