絵巻、古地図で見る桜田門外の変

最初に書いたように酒井は政治的な事は記してないが

唯一あるのは、江戸に来た万延元年は桜田門外の変が

有って物情騒然としてる頃、酒井は日記に、芝の増上寺で

金の龍頭が切れたり、神君家康の金の御幣が無くなったとか、

外国から交易を求める声が高まってるので、水戸の徳川斉昭が

登場するという噂があり、嫌な事を言うと感想を述べている

斉昭は、紀州藩主の家茂の将軍就任に強硬に反対し、

薩摩などと組んで水戸の慶喜を強く推してたので、それで

嫌な事を言うとなるのでしょう。

 

異国人を見ることが多くなってた頃の話です

8月16日さて芝にて異人3人に逢い申し候、誠絵図の通りにて候、

何か買い物いたし居り候。

何れも鼻高く眼色魚の塩物の如し」

ヘンリー・ヒュースケンの見た幕末の江戸 その4 - 鮎川俊介の「幕末 ...

7月4日には江戸城に行くアメリカ公使のハリス一行の見物。

警護の為に江戸中の金棒3千人が集められ、見物人は

数万と言われます。

ただ目当ての行列が肝心の異人は3人だけで、あとは皆

日本人ばかりで拍子抜けしたようです

 

警護に当たった御家人の感想では「見物人は珍しいから大変、

ぞろぞろついてきたものでした」

 

金棒とは警備する人に鉄棒を持たせる

将軍御成りの際は、先ず、前日に御徒が該当地域を廻ります。

その際、「鈴虫」と呼ばれる鉄の輪が付いたもの持って歩きます。

そうすると(ジャラジャラ)という音が出ますが、

是が明日将軍がここを通るぞというお知らせになります。

金棒引きとも言われた。

日記の3千人は誇張にも感じるが実際に動員されたのが

2500人ですので大体合ってます。

 下乗橋

ハリスは大名と同じに大手門から入り下乗橋で駕籠を下りた。

通訳を従え、本丸玄関でも靴を脱ぐことも無く、

殿上の間に入り、椅子を用意されていた。

そして、大広間側の控室に入り、

そこで習礼(リハーサル)を

要求されたが断り大広間に入った。

 

そして将軍出御の声が掛かり将軍家定出座である。

家定は立烏帽子に小直衣、上段に厚い畳を7枚重ね、

そこに錦を掛けて作った座を設け、

その上に曲彔(背もたれが付いた床几のような椅子)に座った。

 

異常に高い位置に思えるが、これはハリスが

立礼をするのでそれに高さを合わせたものである。

 

そして、御簾は巻き上げられ、家定を頂点にして、

中段の右側、一畳目に最高の格式を持つ溜り間詰めの

大名(将軍諮問)

左に老中、中段の右の縁側(畳の外)に若年寄、側衆が座り

下段の縁側には高家と雁の間詰めの四位以上の譜代大名、

反対側には四位以上の譜代大名や布衣以上の役人

及び高位の奥医師が並んだ。

 
ハリスの英語による演説があり、それを通訳が

オランダ語に解して行われた。

それに対し、家定からの返答が有った。

勿論、直接向って行われたのは無く、下田奉行から老中、

そして将軍へと伝達されたのである。

そして、ハリスは下段の間の下から二畳目まで進んで

拝礼して式が終了した。

一番手前が下段の間、上段の間にいる将軍家定までかなり

距離があります

江戸城表・大広間・控之間・松之廊下_a0277742_18195730.jpg

この途中、家定が返答した時、通訳していたヒュースケンは

家定の事を次のように記している。

「短い沈黙の後、大君は自分の頭を、その左肩を越えて、

後方へグイと反らしはじめた。同時に右足を踏み鳴らした。

これが三,四回繰り返された。

それから彼は良く聞こえる気持ちの良いしっかりした声で、

日本語で答えた」

 

この儀式で従来と違う点は幾つかある。

大きな点では、平伏をハリスを前以て拒絶していた事。

従来は、オランダ商館長などが参府してきてた時は平伏でした。

琉球使節

 
次に違うのはハリスが位置した場所でした。

その位置は、琉球使節と同じ扱いであり、オランダ人よりは

格上で、中段の二畳目まで進んだ朝鮮使節使よりは格下。

非常に微妙な位置を示したのである。

更に、ハリスからは御簾が邪魔になり将軍の顔が見えなかった。

これを幕府の役人のミスであると、ハリスはしているが、

若しかしたらそうではなく故意にそうした可能性はある。

「夷狄」に対して将軍の顔を晒したくないと、

思ったのかもしれない。

元禄の頃にケンペルを将軍綱吉が謁見した時も御簾が

邪魔になって見ることが出来ずに、大奥では逆に御簾の間から

奥女中らが御簾にこよりを差し込んで間から異国人を見てた