
金山の戸長と夜遅くまで話をした後、翌朝、伊藤は私を
起こして言った。
「今日は長い旅行が出来ますよ。昨日鶏を食べたのですからね」
言葉の通り翌朝は6時45分に出発した。
駄馬一頭と車夫一人と共に出発した
酷い道で険しい峠を2つ越えて、道中は殆ど歩かねばならなかった。
険しい所では人力車を押し上げる手伝いもしなければならなかった。
途中で休憩をし馬を一頭手に入れた
雄物川に沿って歩き、山道の美しさと野性味、或いは
道中で驚いたこと景色について、川が忽ち濁流になってしまう
大雨について、困難や辛い目に合ったことについて少しでも
理解してくれたらいいと思うが、しかし、干し米の練り物と
酸っぱい黄色の木苺の食事の貧弱であった事、やっと歩いた
泥道の何と深い事!

私達は雄勝峠と主寝峠の2つの峠を越えたが、12時間かけて
やっと15マイルだった。
イザベラの秋田は雨だった。
山形から秋田に向かいました
「山形の北に来ると平野は広くなり一方には雪を戴いた
素晴らしい連峰が南北に走り、一方には側面に所々突き出た
断続的な山脈があり、此の楽しく愉快な地域を取り囲んでる
惚れ惚れとしてみたくなる地方で、多くの楽し気な村落が
山の低い裾野の散在している
「女性はやはりズボンをはいているが、短い着物ではなく、
長い着物をその中にまくり込んでいる。
男性は胸あてと前掛けを一緒にした綿布をつけているが、
そのほかに何も着ていないか、あるいは着物の上に、
それをかけている」
「横手は人口1万人の町で、木綿の取引が行われる。
この町の最も良い宿屋でも、りっぱなものは一つもない。
町は見ばえが悪く、臭いも悪く、わびしく汚く、
じめじめしたみじめな所である。
町の中を歩いて通ると、人びとは私を見ようと風呂から飛び出てきた。
男も女も同じように、着物一枚つけていなかった。
宿の亭主はたいそう丁寧であったが、
部屋には、怒りたくなるほどたくさんのノミや蚊がいた
新庄から秋田では幾多の出来事が本の中に記されてる。
蠅や虻に刺された傷が炎症を起こし、発熱と痛みに悩まされ
日本人医師に診てもらった事。
医師は漢方医で熊の胆や犀の角の粉を用いてイザベラの
治療に当たった。
幕末、福沢諭吉らは牛鍋屋の主人から豚を殺すのを
お願いされ受けた。
条件は、豚の頭を貰う事であり、終わった後貰って食べた。
熊も居ました。
解剖を依頼され、熊を解剖して、熊の胆が出たところで、
薬屋はそれを持ち帰り、あとは塾生が始末したようである。
熊の胆は、薬として腹痛や強壮に効くとして人気があり、
又、高価な薬であった。
薬の番付で前頭の地位でした。
江戸時代の話ですが、偽の薬を売ろうとしたことがある
大坂で生薬屋が安く水牛の角を買ってきて、薬研で擂り潰し、
名前を付けて鳥犀角と同じ値段で販売した。
鳥犀角とは、黒い犀の角で毒消しに効が有る高級生薬です。
これを買った人は、鳥犀角とは違うと見破り
飲まなかった人もいるし、飲んだ人もいた。
その飲んだ人も薬効が有った人もいた。
薬効は遅いが水牛のも効くのだという。

ちなみに現代では、若干の解熱効果はあるが、
解毒効果は全くないそうで
しかし、相変わらずその効能は信じられて
犀の密猟が行われているそうです。
私の宿は極めて心地よい宿であるが、障子と襖だけで仕切ってる
ので、しょっちゅう人々が覗き込む。
外国人が珍しいだけでなく、ゴム製の風呂や空気枕、中でも
白い蚊帳を持ってるからである。

日本の蚊帳は濃い緑色で出来ており、私の蚊帳を凄く褒める。
ここを出る時には頭髪と共に端切れを上げるのが、
彼らにとって最上の贈り物なるであろう。
上院内と下院内の2つの村では恐ろしい病気である脚気が
発生している
この7か月で人口1500のうち100人が死亡してる
久保田の医学校では2人の医師を出して応援してる。
脚気の症状は足に力が無くなり膝ががくがくして、
脹脛が引きつり腫れぼったくなる
「重い症状は全く突然に始まり急速に進行する」
ここでは医師は殆ど無力で脈拍と体温が落ちていくのを
待って、臨終を述べるだけである」
