市川渡口 根本橋 利根川

左手前に「小岩・市川御関所」という関所がある。

10坪くらいと伝えられている、もっと大きな規模のようである。

 

利根川と有るのは、今の江戸川である。

村尾嘉陵「江戸近郊道しるべ」文化4年(1807年)によると、

「半里ばかり行けば市川の関、

伊奈友之助といへる御代間の守れる所なり。

されど、関は名のみして、入る方もでるかたきなし。

関の正式名称は、小岩・市川御関所といわれた。

 

江戸川は何時も賑わっていた。

天保年間(1830~44)ごろの記録を見ると、

「女は今井を通さず、河原の傍の前野の渡へ廻る」と示されている。

今井の渡し

『江戸名所図会 7巻』より「今井の津頭(いまいのわたしば)」

江戸への出入りは、「入鉄砲に出女」といわれたように厳しく、

非公認の今井の渡しでさえも、女性の通行には監視の目が

行き届いていたことがうかがえる。

今井の渡しは「この道は、行徳の方にて禁ずる故、

江戸よりきたる道なり。

女は通さず河原の傍の前野の渡しへ回る」

                            「江戸川区史」より

女性はダメだったのですね。

 

幕府によって公認されていたのは小岩・市川の渡しのみであった。

江戸川筋の今井の渡しをはじめ区内の他の渡しは、

生活上の必要から農作業時のみなど

限定条件つきで、認められていたものだった。

 

この水1升の重さ300匁、或いは390匁、全ての水に比べれば、

140,150匁軽ろしと、棹さす男いへり」

関は殆ど、機能を果たしてない様子、そして、川の水が

軽いというのは、水の透明度がかなりあったので、

棹を扱いやすいという意味であったのでしょうか?

随筆には、水の美なる誓(たと)うべき無し、と絶賛してる。

関所の隣は、直ぐ渡し場になっている。

 

向う側は、下総国の市川である。

渡船の仕事は市川村が管理していた。

船頭は10人、2艘の舟と番小屋などがあった。

 

右に折れ曲がると、大洲への脇道になる。

逆に左に曲がると、国府台から松戸へ通じている。

途中に根本橋がある。川は真間川である。

流が8キロほどの短い川である。

この浜辺は、手児奈という美しい乙女が登場する悲しい

舞台になった所である。

江戸時代は、海は遥か沖にあり

真間は弘法寺の紅葉が有名でした

往昔、この辺は海であり、入り江になっていた。

江戸時代に頃は海は遠くに去り、平坦な土地になっていた。

国府台 總寧寺 (江戸名所図会より)
国府台 總寧寺

総寧寺
真間川を渡ると鳳凰大明神がある。

祭神は日本武尊。今は、国府神社という。

坂道を上がると国府台。

そこに樹林に囲まれて総寧寺がある。

曹洞宗、

寺格が高く、関東の禅寺を総括している。

 

創建は永徳3年(1383年)、天正3年(1575年)

北条氏政により下総・関宿に移転した。

しかし、しばしば洪水に遇う事から、1663年4代家綱の命により、

現在地に移ったという。

 

其二 古戦場

長い参道が印象的である。現在では公園になっている。

この丘陵地帯は、武将たちの攻防の舞台に度々なり、

北条氏と里見氏と死闘がくり広げられた。

「里見諸将群霊墓」が林の中にある。

 

羅漢井
總寧寺 羅漢井
江戸川に近い山陰に「羅漢井」という湧水がある。

今も出てるが、水に乏しい高台にとっては

生命の水であったろう。

空堀もしっかり残っていて古城の趣を残している。