メタボンのブログ
本文によると、「正月三日の東叡山護国院では、

御供え物の鏡餅を湯に浸して参詣の人に与えた。

俗にこれを、福の湯と称した」

茶碗に受けている人々の様子が描かれている。

 

大黒とは?

上野36坊の一つ護国寺に祀られており、霊験あらたかであると

江戸の人に信仰が厚かった。

大黒というのは、原名の「偉大な黒い者」からきているという。

 

本尊に向って、今年の福を祈願している人々や、

正装して行きかう人々など正月独特の華やかな雰囲気を感じさせる。

 

注連縄を張った屋根の下では、柄杓で砕いた鏡餅を

入れた福の湯を大桶から汲んでは参詣の人たちに

上げているが、この(福の湯)は、竹筒に入れて

持って帰っても良いが、途中で、小便や食事などで

立ち停まったら、

福はかえって災いになるという言い伝えが有るそうです。

 

樽の前には板の上に、おひねりや鐚銭が乗ってるのは

お気持ちなのか、或いは金を出さないと呑めなかったのか?

 

大黒が 座った形は 膝四つ

米俵二つの上に座っているから。

 

護国寺は、真言宗豊山派の大本山で、本堂には如意輪観音を

安置しているために観音堂ともいう。

将軍生母・桂昌院の絶大な信心を基にして、

大和長谷の小さな寺の坊主・亮賢が作った寺が「護国寺」

何処に縁が有るのか判らないというのが、

将軍生母桂昌院とのほんの通りすがりの出会いでした。

 

亮賢の推挙を受けて僧・隆光を重用し、あの悪名高い悪法

「生類憐みの法」を発布し、多くの悲劇と混乱を招いたのでした。

ただし、隆光は、この政策に関与してない説もあり(有力)、

何の為であったかは不明な点もあるようです。

幕府内部では、それほど悪影響が有るとは思って

無かったと考えていたと思える節もあります。

適用も曖昧で、特に地方ではそうであったようです。

尾張藩士の日記を見ても法令に度々意識的に違反して

繰り返していますので、そのような感じであったのかも。

実際に、高級武士の切腹はありません。

 

但し、批判も多く、徳川水戸家当主光圀は、

嫌がらせに犬の毛皮50枚を送って諌めたとも言われています。

又、将軍綱吉の後継者・家宣が法令の撤廃を要求したら、

綱吉は即座にそれを拒否し、死ぬ間際にも遺言で

この法令を廃止しないように遺言したが、

次代将軍家宣は、綱吉の葬式も済まないうちに、これを廃止し、

喜んだ江戸市民は、腹いせに犬を蹴ったりしての虐待をしたといいます。

 

これを機に、獣肉を今までの様な滋養目的としての

「薬喰い」としてでなく。猪や豚などの肉食が盛んになり料理屋が

出来たという記録が有り、皮肉なことに将軍綱吉はそのきっかけを

作ったともいえます。

 

 

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