春駒

あまり資料が残って無いですが、門付芸の一つで

「江戸風俗史」では、元日に太神楽、二日に大黒舞

3日に此の春駒が来たとある

「年の初めに馬を作って頭に頂き歌い舞うもの

これは禁中で正月7日に白馬を御覧になる事もあって

それを下々が真似たのではと思われる

 

白馬(あおうま)の節会といい、コトバンクでは

宮中の年中行事の一。
陰暦正月7日、左右馬寮(めりょう)から白馬を
紫宸殿の庭に引き出し、天覧ののち、群臣に宴を賜った。
この日に青馬を見ると年中の邪気が除かれるという
中国の故事による。
もと青馬を用い、のちには白馬または葦毛の馬を用いたことから、
文字は「白馬」と書くようになった。
 

絵のように紙で作った馬頭を持ち三味線太鼓に合わせて

踊り銭を貰う。

踊るのは殆ど年若の男で派手な衣装を着る

踊りながら歌う歌詞には養蚕に関する言葉が多い。

「春駒は 胸のあたりに 緋の蹴だし」

馬頭の布は緋色であったようです。

 
鳥追い
 

絵の女性は門付けの女太夫です。

鳥追い女は正月の間だけ15日まで認められていて、

元々は、農家向けの豊年を祝う歌などを歌い、ご祝儀を

貰い歩くが、15日を過ぎると女太夫となり,家々を廻った。

そこで区別するために、鳥追い女は編み笠、女太夫は菅笠

とした。

 

スタイルが良く、美人が晒しを乳の下からきりっと巻き、

美人が多かったので、時々風紀が乱れ取り締まりがあったが、

貧しい家の出が多かったので大目に見られたという

 
ただ以前には男の鳥追いもいた
又の名を敲きの与次郎と言う物貰いで元日から15日まで
来て、白手拭いで顔を包んで笠を被り角口に立って
手を叩きつつ祝い言葉を唱えて米銭を求めた
 
元々、鳥追いというのは田畑に居る鳥を追い払うために
数千町の田畑を持つ長者が田畑の鳥を追うためにだけ
雇われてたものが数人いた
この田畑の鳥追いが物貰いに代わり、更に女太夫に
変わったものである
 
女太夫は幕末の嘉永年間、黒船が来た頃です
その頃は、京阪には居ないで江戸だけに見られた
正月元日から15日頃まで1人、或いは2,3人でやって来る
女は新しい着物に網笠姿で門の前に立ち、三味線の
弾き語りをしながら銭を乞うた
 
着物と帯は糸を細く織った絹のような上等なもので
嘉永辺りでは1両から1両2,3分もしたかという高価なもの
襟と袖口に縮緬を付け、紅白粉で装い、日和下駄をはき
艶めかしい姿であったという。
「江戸 鳥追い 絵」の画像検索結果
参勤交代で江戸に出府した下級武士などは、その姿に惑わされ
女太夫を屋敷の窓下に呼び止め、2,30銭与え1曲歌わせたりした
酔った勢いで盃を渡したり煙草の回し飲みをしたり
旗本や御家人などの中には鳥追いの為に禄を失う武士も
多く居たという。
鳥追いの逸話がある。
巣鴨の加賀屋敷上屋敷辺でのことだが
猪が現れ、大名家の屋敷に飛び込み、そこの武士に刀で
斬りつけられて逆上したのか、近くの家に入り込み
そこに鳥追いを襲い股の当たりを傷つけて逃げ出した
女太夫は医師に診てもらったが苦痛甚だしく
存亡に関わったとかかわったという。
 
巣鴨辺りはまだまだ自然豊かな地であったのです
 巣鴨の慶喜邸 (慶喜撮影)
静岡から東京に移住した最初の屋敷


初荷
「江戸 初荷 絵 ...」の画像検索結果

初荷は日本橋の8,9町内の大問屋だけが正月二日に

早朝初荷が出せた

商品を新しい車に乗せて店印の屋号をかき沢山の

弓はり提灯を車上に乗せる。

何時もより多い車力達は新調した印半纏に揃いの染め手拭い

店の丁稚たちも一緒に車を引きます

引き回した町は東は両国、南は新橋、西は御濠端

北は筋違い門でした。

昼前には店に帰るが、途中で酒や屠蘇を呑むので、

浮かれて獅子舞を雇い、車の上にのせて獅子太鼓の音

賑わしく行き来する車もあったという

 

書初め

子供は、親から御祝儀を持たされて、手習いの師匠へ挨拶と書初めです。

普段は反古の紙で書くが、今日は新品の紙です。

今日は若水で墨を摺り菅原道真の画像を掲げ、恵方に向って

目出度い詩歌・文字を書く。

終ると安倍川餅や福引も有り、子供たちは楽しみにしていた。

 

それ終ると女児はカルタや羽根つき、男児は外で凧上げなどして遊びます。

  書初め・弾き始め
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弾き始めは、初めて琴や琵琶などの楽器を弾く。

吉原は2日であり、是を聞くだけの客もいたという。

 

中には安倍川餅を振舞い余興に福引をする所もあったという。

大体6歳から12歳頃まで教えて貰い、書は御家流溝口流

を教え、時には算盤も教え商工への道もあり

文政年間、日本橋佐内町に弟子500人に手跡を指南

中与兵衛という先生が居て、厳しくて笑顔も見せず

雷師匠の仇名があった。

しかし、教え方が丁寧であり子を頼む人が多かったという

入門

 

町人の場合はそうでもないが、武士の場合は厳しいものが

ありました。

例えば御三家の一つである水戸徳川家。

塾は満六歳から始めて二十歳近くまで来るのが普通でした。

もっとも十三、四からは、藩校弘道館に入り、

そこで中等以上、高等教育まで行われるのですが、

この方は毎日ではなく、身分により、また長男か次三男かに

よって出席の義務にも違いがあり、五百石以上の上士の嫡子は、

一か月のうち十五日、それ以下は七、八日という風で、

基礎的な教育は塾で仕込まれるのです。

 

教育の場でも長男とそれ以下とははっきり差別されるのです。

長男以下は、特に3男以下は何としても養子の口を見つけねばなりません。

血筋の家ならともかく、普通の家の者は何か特技を持っていなければアピールできません。

幕末ですと剣術はありましたが、太平の世であれば、算勘の道が

頼りになるのは言うまでもありません。

ですから三男以下は勉強に励んで藩の試験に合格することが

重大ごとであり佐賀藩などは「妖怪」と言われた鍋島閑叟の時代には、急速に洋式化を進める藩論からか、試験に合格しないと

禄を没収するい行った前代未聞の事で道を歩くと屋敷の中から

勉強に励む声がどの家からも聞こえたといいます。

佐賀藩が作った蒸気機関車

「佐賀藩 機関車」の画像検索結果

もし、それでも養子の口が無い人は、一生屋敷の片隅に居候し

甥などの世話を受ける厄介叔父として面倒を見られ、

結婚も出来ず、下女との間で出来た子なども間引きされた。

 

女は平仮名で十分というのが当時の考え方で、裁縫を覚えていれば

嫁入りには十分というものだった。

ただ、16歳くらいで嫁入りすると姑は30台というのも珍しくなく

中には先代の姑が50代でいて、しかも長生きの姑が居れば

3人姑というのもあったようです。

 

女の方は己を空(むな)しゅうして人に仕えるという、犠牲と服従の精神
を涵養する点に重きがおかれ、女は大事にしてはおけない、

粗末に育てよということになっていました。

男の方は、大事にする意味で父親の厳しい躾をうけるのですが、

女の方は、粗末にする意味で、食物も、品は同じ

でも男にはよいところを、女には切れっぱしをという風に、

余り物や屑をあてがわれることに慣らすのでした。


その代わり、女は一段劣る生き物だと考えられていましたから、

同じことでも、男のしたこと、言ったことなら問題にしても、

女のしたこと、言ったことなら取り合わず、

大目に見るというところもあり、子供扱いで、何も知らせぬ代り、

台所以外のことには責任も持たせないのでした。
  
年寄りとかいっても、気散じに物見遊山や、

寺詣りに度々外出することもなく、趣味も娯楽もなしで、

ただ働く一方で育てられてきた人たちが多く、

一家にそういう姑が二、三人もいて、夫の弟妹や、

妾や妾腹の子供まで集まっているところでは、

若い嫁さんはなかなか骨が折れるので、

何を言われてもハイハイといっている一方の、

無抵抗主義にしつけておかれるのが一番でした。

 

反対に「男の子には玉を抱かせ。女の子には瓦(かわら)を抱かせ」
とそのころはいわれたもので、男は指導者としての能力と責任感を

もつように、厳重にしつけられたものでした。

 

 

 

 

乗馬初め

男の子の場合は、200石以上の家は馬に乗ることが出来ます。

余裕があればです

途中から馬を買う余裕など無くなってましたから

当然乗ることも出来なかったでしょう

7,8歳ころから馬術の練習です。

と言っても本物の馬には乗れないので木馬を使う。

庭に木馬を置き、鞍や鐙を付けて練習、12,3歳になると

本物の馬に乗っての練習。

 

千石以上の武士の家では、正月二日に乗馬初めの儀式。

馬見所をつくり座敷には屏風を背にして主が見分、

息子は熨斗目麻裃で馬に乗って見せる。

 

姫始め

又は姫始めを「妃目始:ともいう

女の業である紅・鉄漿・針仕事を指すともいえる

原画の文

午後になると、「お宝、お宝」と云いながら初夢のお宝売りがやってくる。

お宝の紙には七福神の神が乗った宝船や宝尽くしの絵と

なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」と、

上からでも下からでも同じに読める文句が書いてある。

  宝船売り
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このお宝の紙を枕の下に敷いて寝ると、目出度い初夢が見られるという。

初富士2鷹3なすび」である。

には「元日姫始め悪しく三日姫始め良し」

庚申の夜などに交わるとその子親に似たり」

5月五日の夜も同じであるとしてる

 

寝てる亭主の枕の上にはお馴染みの宝船が置いてある