こうして7,8年すると仕事を覚えるが、

すぐ独立できるものでは無い

御礼奉公といって1年くらい親方の元で働くのは

当たり前で、それが終わるとやっと独立で、親方は

道具を与え鑑札を与えた

鑑札は一種の免許でありそれが無いものは正規の

者として認めて貰えなかった

幕府もこれを認めお触れで鑑札を持たないものは

雇わないようにという通達を出してる

 

こうして独立してもまだ終わりではない

職種によっては武者修行というか、1年から3年ほど

知らない所に行き渡り職人となって修行する

色々な仕事を学んでこそ一人前の職人と認められ

仮に12歳で弟子入りしたとすると大体12年掛かるとみて

24歳くらいになる

 

この後親方の所に戻り住み込みで働くか、

下請けとして働く所を紹介して貰い

別な親方の所で働くのもあった

親方の地位というのは株などによって守られていて

数も限られて腕が良いからといってなれるのではなく

株は世襲性になっていて親方の家に生まれなければ

なれないのが普通で、あとは、株を買い取るという

方法しかなかった

 

しかも親方層には幕府や大名から直接御用を受ける

何々家御用といったものがあり、特に幕府御用の

職種は百種以上に上った

 

その職の多くは三河・駿河以来という徳川家との

深い繋がりを持ち、桶大工頭の野々山家や鉄砲師の

胝(あかがり)家などは同職の家らを統制できる

役目であった。

三河以来というのは、徳川家家臣の旗本や御家人の

中でも別に何等役得など無かったが、婚姻の時など

三河以来の名家というのは大きなインパクトを

与えるものであり決める切り札にもなったようです

 

彼等肝煎は幕府から禄や屋敷が与えられ、

中には将軍とお目見え出来る者もおり、

身分的には旗本と同等であった。

禄や屋敷を与えられない親方も多かったが、

その代わり提灯や長持に「御用」と書き付け、

身分を誇示し他の職人とは一線を画した。

 

すっとこ被り

「すっとこ被り ...」の画像検索結果

因みに大工の服装はというと、テレビや映画で見られるのは

印半纏に盲縞の腹掛け、股引姿が殆どといってよいが

その姿を見るのは幕末の頃であり、天明年間(1781~

1789)頃の絵は、大工は手拭いをすっとこ被りにし

着物は着流し姿である。

 

料理屋台所

これは料理の世界でも同様で子供の頃から年季奉公

普通庶民の家の子供は、手習い所が終わると、

口減らしという意味で奉公に出します

貧乏ですから一人でもいない方が楽になるし、

又、自分で食えるようにならなければならない

10歳を過ぎての奉公ですから当初は家が恋しくて

涙が絶えなかった事でしょう。

 

「江戸 板前 絵」の画像検索結果

料理の世界では、新人は先ず洗方からである

洗方も上中下とある

上は魚などの下処理だが、一番下の下の洗になると

水汲みで車井戸の水を毎日縄を手繰るので

手の皮がむけ血が流れて縄が赤くなる

真冬は裸足なので霜焼けやあかぎれで痛い

いわゆるアヒルと呼ばれる下っ端である

「車井戸 絵」の画像検索結果

使い走りや子守りなどもさせられいつも追い回されてるので

アヒルと呼ばれる。

「粋な板元 小粋な煮方

  色で苦労する焼き方さん 女中泣かせの洗方

   何故か追廻はドジばかり」と謳われた。