この時の将軍は11代家斉ですが、甫周は次の12代家慶に

非常に寵愛を受けました。

何度も書いてるので省略しますが、或る時、転寝をしてた

甫周に将軍が掻巻をかけ頭を自分の膝に乗せ、

坊主頭を擦っていた事や将軍が鷹狩に行き、自ら射止めた

獲物をこれは甫周にと未だ矢が刺さってる獲物を

下賜されるという異例の事が有り、甫周は獲物を

乗物に乗せ屋敷迄持ち帰ったという逸話もあります。

勿論、葵の紋が付いてる行列ですからどんな大名でも

道を譲ったは言うまでもない。

 

では初めからこうした交流が有ったかというとそうではない。

桂川家の記録によると、桂川家の初代は後の5代将軍

綱吉に召し抱えられ、8代吉宗の時に命により

阿蘭陀人との対話を行った

吉宗は日本で初のビールも飲んでます

享保9年(1724)オランダ人に対して、食品の見本を

差し出すように命じ、ビスケットやバターなどでした。

そして、オランダ人が長崎に帰ってからも注文は続き、

塩漬け肉、ハム、チーズ、林檎、ビール、ブランディー、

ワインなどであった。

 

享保11年(1726)には、江戸参府中のオランダ人の

宿舎に御坊主4人を行かせて昼食を共にさせた。

そして、その後、吉宗は、世子である家重に食べさせようとし、

家重の御殿(西の丸)に食事やスプーンやフォークなども

持参させ、使い方を説明させた。

その後、場所を長崎屋に変えて江戸の文化人や蘭学者と

阿蘭陀人との交流が始まったという。

手前が西丸御殿 左奥が大奥

「江戸 西丸御殿 ...」の画像検索結果

当初参府は毎年あったが途中で4年ごとになり、しかも

江戸滞在が1ヵ月弱くらいであったので、待ち兼ねていた

者たちが連日長崎屋に押しかけて深夜にも及ぶことが

有り、時には平戸藩主松浦公も深夜訪れたと本にある

 

享和2年には、丹波福知山藩主の朽木正綱が午後11時頃

婦人2人を伴い来訪、甘い葡萄酒や蜜漬けの菓子でもてなし

立派な指輪とオランダ酒3本を贈ったら午前1時頃

満足して帰った。

 

商館長は「昔の命令によれば、何人も阿蘭陀人の部屋に

来てはならないし、もしくはそこには下検使が立ち会って

居なければならない。

いかなる商人であっても単独でやって来てはならないし

下検使の立ち合いなしに我々に物を売ってはいけない

という決まりになってるが、この旅行を通じて、これまで

一度も下検使が私の部屋に来たことが無い」

ともうなし崩しになってる事を述べてる。

 

出島も商人が自由に出入りしたようで「此処にても

商人または行商人来りて、我らに美しき物品を勧めしが

通常長崎で求めるより余程安価にて、且つ品質も遥かに

優良なりき、又、所謂禁止物は持ち来たらりしも、

これを得ることはさほど困難ならざりき」

何でも手に入るし市内で買うより品も値段も安い、

恐らく阿蘭陀価格で市内では高く売ってるのでしょう

 

あまりに来る人が多く、然し、謝絶できないために

部屋に溢れてしまい混雑から逃げるために一時部屋から

逃げ出す人も居た。

或る時は、1人の紳士が6人の婦人を連れて来て

此の為に我らの菓子やリキュール等の貯蓄も急に

減じたり、と嘆く。

やむなく帰ってもらうために指輪と小間物、扇子や

紙にオランダ語で書いたものを土産として渡し

お引き取り貰ってる。

 

シーボルトの時だが病人も来た

薩摩藩主島津重豪と斉彬の側室が診察を求め来た。

又、長崎屋に来た幕府の侍医に目の解剖と一般的に

行われる手術を説明し、豚の目を使い解剖した。

更に後日、幕府の針灸医も訪れて、先年シーボルトから

針の事で聞きたい事が有るという手紙を貰っていたので

微針7本、1番から7番までの針を持って来た

シーボルトは、オランダには針術が無いので見せて欲しいと

手を差し出し針を打つと感心してるようだった。

「江戸 鍼灸師 絵」の画像検索結果

更に翌々日、幕医は又訪れ天然痘と種痘の説明を聞いた

又、シーボルトは眼科についての書物と機械を見せ

瞳孔をペラドンナで広げる実験を行い大喝采を受けた

新生児のみつくちの手術もし更に3人の子供に

種痘を行った。

「江戸 目医者 絵」の画像検索結果

江戸は非常に眼病が多かったらしい。

その原因としては、幕末に長崎から江戸参府の

ツンベルクは「江戸紀行」の中で、「建物構造もそうだが、

便所の肥壺から出る腐敗ガスが悪いという。
このガスが目を襲って瞼に血が滲み、

傷が出来膿を持つからだという。

 

又、ポンペも又、日本は盲人が多く、長崎では、

住民の8%が眼病だという。

 

あとの原因として栄養不足がそうであるとしている。

当時、多かったのは「鳥目」である。

夜間になると見えなくなる病気である。

栄養失調になると、この傾向が出るという。

又、江戸の庶民の大半にその傾向があった。

特効薬としては、八目鰻がある