紅葉山文庫ともいわれるが、単に「御文庫」といわれた。
今の内閣文庫の前身です
江戸城紅葉山文庫に役所があり、
そこに勤務する御家人が書物同心といわれる。
御書物奉行が書き記した勤務日誌がある。
150年分あり、実に255冊になるという。
御書物奉行とは、「御」が付くが別に奉行が
偉いのではなく、
将軍が見る物を管理するから「御」が付いていた。
ここには、図書館につきものの蔵書印はなく、
明治になって「秘閣図書之章」として蔵書印が
作られ捺印された。
将軍だけが見る文庫ですから、わざわざ捺印する
必要など無かったということです。
ただ、実際には御三家を始めとして諸大名も利用してた
和紙なので紙虫が付きやす荷の出年に一度大掛かりな
虫干しがある。
毎年晩夏から秋にかけて数ヶ月に及ぶ
大規模な曝書(虫干し)が行われ、
天候や湿度に注意しつつ、日光や風にさらされた。
雨が降った翌日も、多湿の時は、
蔵の扉を開けないなど
徹底した管理が行われたので、今も残ってるのです。
それ以外で忙しい時となると、
大名家からの献上がある時である。
その時は、今ある玄武と照合しなければならないので
大名家からの立ち合いと一緒に照合し、
もし、重複してる場合は、献上は無い。
当然ながら献上品には重複してる場合もある。
そうした場合、貴重であれば正副併せて保管するが
そうでない場合、保管の場所の問題もあるので、
献上から外す。
ただ形式的には、傷物としてするのである。
そして、これら傷物は古本屋等を呼んで競売に掛ける。
この辺は、奉行所での競売と同じであり、
拾得物など競売させた。
ただ、ここ生じるのが談合でした。
前もってどこが落とすかを決めておく、順番です。
記録では、享保17年に144両、
及び銀4匁3分で売ってる。
かなりの高値で本を売ってますから、
相当の稀覯本であったに違いない。
書物の中には、時にはいかがわしい物があったようで、
偽筆のような物は書の鑑定家に、
そうでないものは同心らが協議して決めたようだ。
そして、偽物とされたものは
「火番監視して湯方においてこれを焼く」と
あるので焼き捨てらた。
シーボルトが何故滞在でき書類が入手できた要因として
沢山のお土産物を用意してきた事です。
人は頂ければ悪い気はしません。
しかも向うの国の珍しいものであれば尚の事です
具体的には、立派な食器、ガラス器、或いは小さなピアノ。
その為か交友関係はどんどん広がり、勿論、医師なので
診療もしてるが、薩摩の老公や天文方の役人、
幕府の諸役人、蘭学者、出入りの商人など
様々な人ですが、色々な交流もあり、医師とは一段と
交流が有り、目の診療で瞳を開けるための薬を教えたり、
その代わりに葵の紋が付いた羽織と交換したが
アルバニー電気治療器、顕微鏡、外科用手術用具、
携帯用薬品、各種の器具類を持参し提供し、
入手の為の手段とした。
