箱根7泉
箱根を目指す一行ですが、日記にはこう記してる
「1、弐百五拾弐文 三島より箱根まで馬代
1、金1分2朱 同所より箱根まで駕籠
1、参百三文 箱根より小田原まで荷物馬
1、百文 御関所案内
最後の案内賃が曲者ですね
又、関所抜けをやったかと思ってしまう
最初の項のは、三島から小田原まで通しの駕籠を利用し
荷物は馬に乗せて箱根で継いで小田原で運ばせたもので
別に変った事ではない。
やはり箱根の道も大変辛い道であったのは間違いないので
歩くのは大変ですし、荷も少ないほうが良いに決まってる
♪「箱根の山は、天下の嶮(けん)
箱根の険も登り4里下り4里があったが、
実際に旅人が恐れたのは、頂上付近のさるすべり坂
と長坂が滑りやすく雨が降ると難渋したが
それ以外は難所とは思ってなかったようである。
さるすべり坂
箱根峠が伊豆と相模の国境である
峠を上がると突然山の中に湖が出現する
箱根関所は目の前である。
清川八郎が関所の印象を書いてる。
「この関所は小田原城主大久保家が預かってる。
往来を厳密に調べる天下第一の関門である
女は上りを改め手形が無いと通してくれない
ただ下りはただ断るだけである
初めてこの関所に来たものは、その物々しさに身の毛が
よだつ思いをしない者はいない。
実に天下第一の厳しい関所である。
関所を出ると直ぐ民家がある。
この集落ではひそかに関所抜けをしてるという。
最初に関所抜けをしたのではという文言がある
「1、百文 御関所案内」
どうも関所抜けに要した金ではなく違う目的であったらしい
於いとは、江戸に行く途中ですから清川の文にあるように
何も詮議は無い。
では何に使ったかが、次の歌舞伎俳優の中村仲蔵の言
彼も清川と同じく、この時、老母を連れての旅でした。
「峠の前の銭屋で昼食を取った。ここの亭主が関所に出役を
すると聞いて、母が歩くことが出来ないので駕籠に乗ったまま
通れないかと頼んでみた。
すると亭主は一切を呑み込んでくれたので、300文を礼として
やった。
母は駕籠に乗ったまま、皆皆も滞りなく関所を越えることが出来た」
つまり、本来は関所を通るものは笠などを取り駕籠から下りる。
それを、関所に懇意である旅籠から関所に既に調べは済という事を
報告して貰えば、駕籠に乗ったままでも通過できたのです
これを「旅籠断り」といったそうです。
此れと同じような事を於いとはしたようです。
それが百文であった
金は万能なのです。
御関所の役人の目を一時塞いでしまうのです。
そして、関所の前には銭屋(両替屋」があるのですね
初めて聞きました。
やっぱりここで通過するための銭に交換したりとか、或いは
銭の相場で高下があると両替して、幾らでも良い条件で
両替したのでしょう。
旅籠の晩酌代くらいは出たそうです
