農村
村方の仕組みはというと名主がいます。
江戸では「げんか(玄関)様、名主様と尊称されてました。
明治になっても暫くの間、名主ではなく名を変えて年寄という
名で町の自治を新政府から委嘱された。
やっぱり街の隅々まで知り尽くしてる彼等が居ないと
自治は保てなかったのでしょう
江戸の自治組織は、町年寄を筆頭ととし、
その下に数町を支配する町名主、町名主の中でも、
家康が天下統一をする前から江戸に住んでいた名主を、
別して草創名主(くさわけ)と呼び区別され尊敬された。
24家在り、町奉行の交代の時には、真っ先に御目見えをし、
或いは正月の3日には町の総代として江戸城に参賀した。
町年寄とは、三河から付いてきた喜多村・奈良屋・樽屋の3家で
世襲で勤めた。
享保7年(1722)には、町名主を町の区域ごとに編成し、
組合が結成されその人数は17組264人であった。
草創名主・古町名主・平名主・門前名主の4つの階層があり
他に、品川・吉原の名主がいたが番外だった。
名主といえば牛込の名主だった明治の文豪・夏目漱石が有名だが、
最も知られてるのは「江戸名所図会」を親子3代で編纂した
神田雉子町の草創名主・斎藤家であろう。
雉子町のほかに三河町3丁目と裏町、三河町4丁目と裏町、
それと四軒町の6つの町を支配した。
親子3代で記された「江戸名所図会」は、
文章もさりながら挿絵がもっと素晴らしい。
江戸の名所旧跡を漏れなく紹介し、殆どの藩は買い求めて
ガイドブックとし、旅行者も又大いに恩恵に預かったという
江戸名所図会 内藤新宿
町民らが奉行所に訴える時には、前提があって
先ずは当人同士で話し合い、それで解決しないときは
家主を入れて話し合い、
それでもダメなら町名主を入れて話し合う。
町名主の家の玄関には、人がいてそうした訴訟を受け付けた。
玄関で名主を交えて話し合う。
奉行所に上がる前に処理された。
いわゆる名主宅での「玄関裁き」(げんか裁き)です。
玄関などは何処の家にでもあるものではなく、帯刀と同じで
許可された家だけが作ることが出来た
此の辺の事を南町奉行を務めた山口駿河は
「旧事諮問録」で、
「喧嘩とは、小さな訴訟は名主が裁判するのですか」
との問いに「そうです。まあ、ちょっとした事、
ほんの内輪もめ事などです。
兎に角、悪い者を町内から出したりして、お奉行の耳に
入れないようにするのが、名主の働きでした」
「金の出入りとか、斬ったりはったりしたこともですか」
この問いにも「斬ったりはったりしたのは大切で
目付が知ってしまいますから、そういうのは奉行所に
行きます。
ちょっとした貸借くらいのことです。
和解へ持ち出すような事は名主です。
真の公事(裁判)を起こすとなると奉行所に出さねばならないです」
それで不調ならいよいよ奉行所に目安を立てる。
「恐れ乍ら書付をもってご訴訟奉り申し上げ候」から始まる書類を
奉行所に出し受け付けて貰えば、相手に出頭を命じるよう裏書をし
裏判を押す。
出頭命令書であり、やがて差し紙が来ると朝早く、
家主と町名主同道の上奉行所に行き、呼ばれるまで待機する。
1日がかりになるのですから堪ったものでは有りません。
時間と金が勿体ないと内済にするのも判ります
参考までに江戸の自治組織でした