足付折敷での食事

食事の時に、折敷といって食物を上にのせるものがある
竹で編んだ敷物ですが、それが使えなくなるとバラシて
トイレ用にしたものらしい。
上の口から下の口まで活躍したのです。
勿論、縄で処理したところも珍しくはない。
縄と藁は農山村では、昭和の始めまで
使われていたようです
「油さし 江戸でも藁で尻を拭き」
油の行商人は、必ず藁を常備してました。
油を容器に移した後に、
付いてる油を拭き取るためでした。
江戸時代は藁で拵えた草鞋は旅の時の必需品でした。
持久性が無いので少し歩くと駄目になる。
そうすると休憩するのに立場に寄るが、そこには
使い古した草鞋が山のようになって捨てられていた。
といってもホントに捨てるのではなく、農家などがそれを再利用
無駄なく捨てるところ無いように最後に灰になるまで、灰も
何かとよく使った品ですが徹底したリサイクル社会でした。
草鞋は1足15文位ですが、1日に1足では足りない時も
あったでしょうから草鞋を選ぶのも大変です。
疲れない究極の草鞋を発明した人が居ました。
藁の中にある節を抜き、その藁で草鞋を編んだものだという。
「足の痛む事無し。草臥れる事も無く、
この草鞋を穿いて行けば、足の軽き事妙なり」とある。
但し、値段は高いです。
1足70文から150文、
草鞋といえば思い出すのが大俳優でした長谷川一夫。
戦争で徴兵に取られた時、或る時、分隊で草鞋を作ることを
命じられました。
梨園で生まれた方です。勿論、出来る訳が有りません。
出来ませんと、分隊で罰を受けます。
すると、隣にいた普段からパッとしない兵隊であったらしいですが、
あっという間に草鞋を編んでくれたそうです。
農家は藁で縄を始めとして色々なものを作りましたから、
当たり前の事です。
その代り、長谷川一男は食料を集めるのに重宝され、
女性がいると大変な騒ぎで、慰問品が多く直ぐ集まったそうです。
でも、陸軍の内情を知らないと意味が分からないでしょうね?
現代でも寺では東福寺がそうあるようで東司で厠ベラを使ってる。
東司(とうす)とは寺院の便所のことで、寺の七堂伽藍の一つ。
便所の守護神のことを言い曹洞宗で使われていて、
臨済宗では、雪隠という。
便所は何と!本堂や庫裡などと同等の建物なのです。
これからは御便所様と敬語をつけましょう。
もう一つの呼び名を西浄ともいう。
西といえば西方浄土です。
端折って西浄なのか?
人間界から10万億仏土離れた所にある安穏浄土の世界。
あの静かな所で瞑想にふけるもよし、苦吟するもよし。
ひたすら修行に励むところなのです。
武田信玄は瞑想に或いは策謀を練り、そこを「山」と呼んだ。
ここから風林火山が生まれたのでしょうか?
東福寺の東司


左側が9カ所の小便所と2カ所の手洗い所がある。
左側が9カ所の小便所と2カ所の手洗い所がある。
間仕切りは一切なく、整然と並んだ便坪。
便所に入るには厳格な作法があって、
「まず法衣を脱いでよくたたみ、黄色の土団子を用意する。
つぎに水桶をとって右手に提げて厠に上る。
厠の前でわらじに履き替え両足に台を踏み、
うずくまって糞をする。
このときあたりを汚したり、笑ったり、歌ったり、つばをはいたり、
落書きをしてはいけない。
用が済んだら紙か糞ベラで拭き、きれいな物と混同させないこと。
右手で水を散らさない様に流して小便と大便をよく洗う。
手洗い所にかえって手を三度洗う。
ついで灰で三度、土団子で三度、サイカチで一度、
その後改めて水や湯で手を洗う。
糞ベラとは竹で作った細い棒状のもので長さ24cm。
木で作ったものを「チュウギ」とかいう
雑念を払って用を足す。集中力です。
「出せば出る」為せねばならぬ何事も。
籌木(ちゅうぎ)
良いお話でしたね。又、じっくりと納得のいくまでしたいものです

