有料トイレ

「江戸 便所 絵」の画像検索結果

便所で竹箆を使うのは、別に飛騨地方が遅れていたわけではない

全国といっても間違いではないでしょう。

1800年前後です。

江戸文化が爛熟し、上方に対して劣等感を無くして独自の

江戸文化を作り誇っていた頃でした。

今からたかだか僅か200年前の事なのです。

 

明治時代に5回日本を訪問して、日本の知られてない農村を

書いたイギリス人女性の旅行家・イザベラ・バード47歳も

日本の農村を記している。

 

東京から日光までは快適な旅であった。

しかし、それが山村に入ると一変した。

「最低」と「どん底」と云う表現を使えば、

見る村に交互にその言葉を使った。

 

家族は、牛や鶏や犬と一緒に住み堆肥の山からは

水が流れて井戸に入っていた。

男は殆ど身に纏わず、女性も腰巻、モンペくらいである。

既婚女性は、青春を知らなかったような顔をし、

肌はなめし皮のように見える。

或る時、宿の女性に年齢を聞くと、

50歳代と思っていた女性は22才で

子供は5歳で未だ乳離れをしていなかった。

村人の多くが皮膚病を患っているので、

子供に薬を与えたところ、忽ち、快癒、

それを見た村人が殺到し薬をねだったという。

ところが彼女は薬を幾らも持っていないと謝罪し、

日常生活を清潔にするように助言する事しか

できなかった。と、自分の無力感に苛まれている。

 

しかし、そこには人間の優しさも有った。

馬子は何か落したと聞くと、1里も有る真っ暗な道を戻って

探してきて、御礼というものも受け取らないのである。

日本の自然には大きく感動しその感激は何度来日しても

変わらなかった。

 

でも彼女が驚いたのは、「日本ではお化けが居ると信じられ

暗闇を酷く怖がる。

私は何度か早めに1日の旅程を終わりにせざるを得なかった。

馬子が3倍の料金を貰っても夜間の道を歩くのは嫌だという。

超常的な危険を避けてる。

江戸のトイレ 北斎

江戸時代のトイレで用を足す武士(『北斎漫画』より、葛飾北斎 画)

トイレの話です

自分が大好きで最も得意とする分野です。

ここで少しウン?蓄を語ります

 

厠で使う厠べらとは、古来から使用されたもので、

割箸状や薄い板の物で片手で使える大きさのものでした。

そして、使用済みの物は、燃料や堆肥に使ったり、

洗い直して再度使ったようである。

 

いまでも東北の平泉にある記念館では平安時代には

藤原氏が100年栄えたところだが、そのころのもので

トイレの竹べらが1本100円で売ってるそうです。

 

尤も同じ竹べらといっても全く違うものもある。

出産直後、へその緒を切る役割もあり

こちらが長さも決まっていたようで江戸時代のへその緒が

残ってるくらいですので切ったら大切に保管されていたようです

「江戸 六浦 絵」の画像検索結果

臍の緒が後世に伝わった記録は、

江戸時代弘化4年(1847)のがある。

神奈川に六浦藩1万2千石の小大名が有り、

その家来に萩原唯右衛門という侍が居ました。

4両2人扶持ですから、恐らく生活は大変であったでしょう。

萩原家に赤ちゃん誕生しました。「鉄太郎」君です。

驚いたことに、その臍の緒と産毛・乳歯まで残っていたのです。

恐らく江戸時代の武家は、臍の緒・産毛・乳歯・前髪の

4点はセットで保存していたのでしょう。

 

 

松尾芭蕉も晩年長い漂泊の最後に伊賀上野の生家に戻ってきた。

もはや母は亡くなっていて、大事にしていた芭蕉の臍の緒が

ポツンと残されていた。

それを見て芭蕉は詠っている。

「古里や 臍の緒に泣く 年の暮れ