代官所の建物というのはどの程度のものであったかというと
飛騨の高山郡代となり3度目の冬を迎えた感想がある
高山陣屋表門と蔵番長屋
佐渡奉行を勤めてる父への手紙です。
「戸の隙間から入り込む風が二重の障子をも突き抜け、
夜分読書などの折りなど気味が悪く、寒いのでちょっとした風でも
そう思います。
居間や十畳間は二重の板の隙間に籾糠を敷いて堅固に修繕
してあっても、少しの風でもあれば縁側に吹き込んだ雪が積もるようです
こう考えるとどうやっても雪は吹き込んでくるものと話して暮らしてます
今頃は寒さ厳しく雪深く鬱陶しい事と察しています
十分にご準備のほどをと思います
飛騨の寒気と佐渡の烈風では人間は住めないと一笑しました。
便所には紙と石を持って行きます。
鉄器に氷が付くより始末が大変だと家族で大笑いしました。
町中でも村方でも下層の者は便所で紙を用いず
木べらを使ってます。
廻村の時、不時に田舎の便所を使用すると、棚や籠に
新しい箆と古い箆とが置いてあり、時々川でゆすいで
用いてる様で、甚だ汚らしい事です。
佐渡でも同様でしょうか。
此のような習慣は小石持参にも及ばない事で、
汚らしい事を聞いて御一笑でしょう。
寒い事は我慢できても日常行うトイレの難題には
困ってる様子です。
江戸文化が爛熟したという化政年間の頃、
山家の百姓は、厠べら、或いは藁屑、木草を遣い、
甚だしきは縄を張りてそれを跨いで摺り拭きもあらん」
こういう記述がある。
化政とは文化・文政年間の事ですから11代家斉の世です。
寿司とか鰻とか天ぷらなど今も人気の食べ物が完成した頃
食べたものは出さないといけませんが、然し、トイレで紙など
贅沢なものですから使わなかった。
江戸では紙を使う事が普通でしたが、その紙というのは
赤浅草紙で、いわゆる再生紙であり1回使用された便所紙を
下町辺りでは昭和の初めの頃までは、家庭に業者が一回
使用した便所紙を引取りに来て、それを再再生した紙でした。
ですから使用したら捨てないで脇に置いといた訳です
「冷やかし」という言葉は今も使うかと思いますが。
吉原の遊郭などで上がりもしないでただ見てる事を云ったものですが
浅草紙を漉く間冷やしてる間にぶらっと見てることから云われたものです
現代のように外国人旅行者が一番驚くことですが、中に入ると
蓋が開き何もしないでもいい。
そういうのではなく下から襲ってくるお釣りをどうやって
身をかわすを苦心したころの話です。
思いだした方もいるかと。