閑話休題
例によって話が飛びましたが代官の誓詞の話です。
評定所番に下書きの依頼をする
誓詞を書く紙もどれでも良いというのではなく、
和紙を吟味して買うので金も馬鹿にならない
2日後に受取御殿改め方に提出。
しかし、後日「誓詞改めるべく旨」の書付を渡される
ここで公用人と面談し誓詞を一読して貰い改めて提出した。
誓詞が訂正を受けてるが、他の代官も何度か訂正されてるので
珍しい事ではなく、それだけ重要な儀式なので
誤りが無いようにと改められたのでしょう
誓詞は転任の際も書くが将軍の代替わりの時も提出する
この時も、将軍家慶が亡くなってるので1ヵ月も時間が
掛かってるのは、その為であろうかと思われる
赤坂宿
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そしてやっと任地が決まった
遠江国中和泉5万石で出張陣屋は三河国赤坂だった。
勘定奉行からは、中泉は困難な地であり林でなければ
勤まらないとの考えで決まった事である。
そしてこの任命には老中の意向が働いていて、
仕事を見ようということでるらしい。
学者がどういう働きをするかと見てるのです。
ただ勘定奉行からは面談で、とても1,2年の間では出来ない。
緩々相勤べく候」と言われてた。
御庭番もそうですね。
1,2年の間仕事を見ていて、これなら遠国御用を務められそうだと
判断されると任務が行く。
ただ、御庭番の場合は、17家が婚姻で結ばれて
姻戚関係にあるので、行くときも懇切丁寧に説明等を受け
一族の恥にならないようにして行ってます
命を受けてすぐ大丸などに行き着替えて出立など
現地の様子が全く分からないまま行くなどは論外。
そして、御用の結果が出来が悪い時は、
川村のように内勤の形で奉公する。
適性が無いと判断される。
でも、内勤と言っても大奥の側用人にまでなったのですから
どちらが良かったのか分かりません
以前、御庭番と一緒に仕事をした伊賀者の御家人が居たが
やっぱり昇進の早さや度合いが違いましたね。
エリートの扱いでした。
アメリカへ使節団で行きました御庭番の村垣
一番左に立ってる
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その後、大まかな職務内容が記されてる「演説書」を渡されてる。
更に「緩々ご覧の上」と「返却のもの3冊」「上げきりのもの」1冊
「公事出入吟味物計伺書」1冊を渡された。
他にも8代吉宗の時に大岡越前らが纏めた「御定書」は、
写しを取って江戸に置き原本は中泉に持参し、よくよく
熟覧するように言われた。
更に「御触書」3冊、これは代官が司法官も兼務してる事である
人手が足りないと見たのか人員の補充もしてる。
年に3両1分の給金であることから「サンピン」ともいわれた
小侍だけでは間に合わないので、用人待遇で年5両で雇い、
家政を任せ、旅の支度金として金1両を渡す。
彼らは農民・町人の出で人宿から派遣された
1季或いは半季の奉公人であった
いよいよやっと仕事の引継ぎで転勤先の元締手付他2名が
先ず金の引き渡しで、「郷村諸書付金7百5両壱分永83文3分」
引き渡しが行われた
引継ぎに来た代官所下僚3名には昼飯と金百疋(金1分)を
与えた。
赤坂宿
後日転任先である赤坂と中泉の引渡しが済んだという御用状が来
やっと名実ともに支配する所となったのである。
大体、代官の引継ぎには3か月ほど掛かるのが普通であったという
特に人事の発令が12月が多かった事もあり月日のずれが多い。
引継ぎも終わり任地へ向かうのですが、その前に借金の清算をする。
それをしないと行くことは叶いません。
又、母や妻は暇乞いであちこちに挨拶に行く。
そして旅具一式35両、甲冑5両2分、刀も新調した大小4両1分
御礼言上や刀や着物を揃えるなどの費用が大きいのです。
やはり身なりを整えないと、評価が下がります。
番衆狂歌にもあります。
「小給の羽織袴やそれ以下も 勤道具は心付くべし」
旅の道具
