麻布
ともあれ人事異動です
翌早朝6時頃、麻布谷町の屋敷を出てお城に到着、
右筆部屋縁頬にて老中若年寄居並ぶ中、月番老中から
代官仰せつけられる。足高が下されるべく仰せ渡された
その後上司となる勘定奉行に挨拶、勘定所に行き奉行衆・
吟味役・組頭に挨拶、その際、新任代官の師匠になるは
関東代官であることを命じられ、
万事指図を受けるよう命じられた
此の師匠となった関東代官は小林藤之介というが、
此の人物評がある。
好人物だが才知に劣り疑念深く器の小さな人物であることが
惜しまれる。
金には執着せず清廉であったようです。
結局、勤続18年で代官の筆頭格である江戸廻にはなったが、
それまでであったのは才知に欠けるという事であった。
と述べてますが、聊か手厳しい批評のように感じます。
さて代官の任命を受けた後は挨拶回りです。
これは当時は絶対といってもよいほど大事なもので
欠かせませんでした。
老中や若年寄の屋敷を回るが、その際は玄関で挨拶
その際は、手札今の名刺を出す。
勘定奉行の役宅では用人と面談してる
旧上司の所にも挨拶、御酒や飯、お菓子を出された
又、逆に諸方から御祝儀の品、干し鯛や鰹節などの品に
結状を掛けてあった。
結状とは、祝詞を述べる書状の上部を折り結んだもの。
翌日は先日行けなかった処への挨拶回り、それから登城し
師匠である関東代官と待ち合わせする。
師匠格とは、書院番の武士でもあったが新しく番入りした
武士に教える役目で、代官の場合も仕事の流れから代官を
サポートする下僚の選び方なども教えてくれるので
師匠如何で将来が左右する。
そして、この日から就職で下僚を希望する推薦や
売り込みが相次いだ
下僚としては十数名を採用予定してるので忙しい。
基本的には師匠の推挙者を中心に相談して決めてる
現在失職中の手付や手代を中心に選定した
結局決まったのは18名であった
其の18名の誓詞を一紙一同で済ませてる
次に必要書類の提出である
「御証文之儀願書」「誓詞之儀願書」各々1封、印鑑7枚
「明細短冊5枚」これら書類を関東代官の手代が御殿勘定所に持参
明細短冊とは、氏名・年齢・家紋・生国・本国・持高足高・
祖父及び父勤務先・家督相続・履歴・居屋敷住所を記した書類
次に師匠の関東代官から「諸向付届金」が届いた。
この書付は、湯飲み所や休憩所で雑用をしてくれる人へ
或いは、御金蔵や評定所への出入りの際に対応する者たちへ
職務を円滑に進めるために「心付け」として与えるものだった
翌日「御殿湯飲み所」「下勘定湯飲み所」「御殿下湯飲み所」の
惣中宛、御殿下湯飲み所見習、御殿下小遣い、御金蔵同心
御金蔵休息所、小普請方小遣、評定所同心らに身分に応じて
2朱から2分を渡した。
更に、盆と重なってしまったが「盆之付届」を1人300文から1分渡した。
江戸時代はこうした贈答儀礼が重要視され、これが賄賂かどうか
線引きは難しい。
ともあれこれはやらないといけない事であったので、
いかなる部署であれ色々な形で職場で行われたようです。
火盗改鬼の平蔵の後任だった旗本の森山孝盛も番入りした際
一流の料理屋で最高の料理でお披露目をするにあたり
当たり前ですが金が無く取引のある札差しに借金を
頼んだところ従来の借金が有り断られ途方に暮れた所を
他の札差から金を借りることが出来、無事に乗り切ることが
出来た。
この時も50両近くかかったようです。
しかも、この後上司や同僚の所20軒余りに鰹節などを
配ってるのですから金が幾らあっても足りるわけない
煩雑である挨拶引継ぎ等はまだ終わりません。
最も重要な事が有ります。
誓詞の提出をしなければならない
これは武士もそうですが奥女中も誓詞を書きます。
勿論、誓詞は吉原の遊女も沢山書きます
ただ、此方は相手構わずに幾らでも書きます。
吉原の遊女の場合、鳥が一杯木版された紙3枚の裏に書いて、
1枚は男に、1枚は自分、3枚目は神社へ奉納。
「私と貴方は決して別れません。二世を誓った仲です。」
そして、指を切って血判を押します。
この起請を書くと熊野で鳥が1羽が死ぬそうです。
ですから、簡単にやってはいけないのですが、どういう訳か
規制緩和なのか、何時の間にやら起請文は75枚まで神仏が
お認めになったという。
鴉も未だ、全滅しないのですから無尽蔵に居るのでしょう。
だから、男25人まではOKなのです。
他にも小指を切って誓いをしますが、実はこの指、人造で
そうしたものを作る職人もいたのです。
流石、江戸で細工物を作る職人には事欠きません
一番効くのが女の涙です。
しかし、これも技が有ります。
着物の襟にミョウバンを浸みこませておく。
いざという時に、ちょっとこする。
すると涙がぽろぽろ、心打たれます。
これを「女郎のそら涙」といいます。
「四角な卵と遊女の誠 有れば晦日に月が出る」