赴任行列
メタボンのブログ 

諸国に赴任する代官に対しては、旅費及び支度金として

200両、御役拝借金として260両、更に代官所建築の金60両

が支給された。

但し、これは一部は返済の義務が有ります。

 

家計費について師匠の関東代官と相談します

ご指導を乞うのです

先ず幕府からの年間予算である550両20人扶持。

ここから直の賄分として75両、自分の給与20俵2人扶持に

足し高を足すと支給される150両を家内の扶持方とし、

併せて135両と決めた

ここまで師匠格が相談になるというのも林が多額の借金を

負っていたからであり、返済計画を相談してたと思われる

 

他日御金蔵から代官所の運営費366両が支給された。

早速借金返済に回る。

自転車操業ですね。次の時は又同じように返済していくのでしょう

ともあれ目の前に借金を返していく。

公私混同も甚だしいが他の代官も同様であったらしい。

黙認されていたのでしょう。

 

まず50両、次に40両、そして百両と早くも半分ほど無くなった

他の代官などは刀剣の買い入れが目立つが、林の場合は

違ったようで「刀剣の買い入れは手許金を切り詰めての事で

借用の理由にはしない。いずれにしても自分もひやりとするので

手許金を十分に切り詰める」と分かっているようである。

 

中泉代官を務めた方の家計簿です。嘉永6年(1853)

燃料と食費が年15両

飯米代として8両(内米13俵5両3分を年に3回

味醂、黒砂糖、鰹節は毎年下僚からお歳暮で貰ってる

野菜は自家菜園。

食費・光熱費で年間39両

 

人件費は侍2名(3両1分*2)

中間1名(3両1分)

女中2名(2両*2)

合計人件費は年間14両

 

収入は135両と決めてあったので、経費が81両でした。

残った金で間に合うかというとそうではない。

諸費用が多い。

中元・歳暮、お仕着せ(制服)羽織袴や7月の盆と12月の

歳暮には百文、更に節分の際などは豆男に200文、

医師や薬代、馬医代、廻村時に渡す金、各種交際費、

家族5人の小遣い他、これを足すと収入を越えてしまう。

赤字であった

 

しかも不幸にして亡くなって葬儀があった場合もあった

用人の例がある。用人といえば家の要です。

主人の代行をするわけですから、他人をもって代えがたいのは

言うまでもない。

嘉永7年(1854)7月9日用人大病を発す

18日は早くも生死の境となり、用人の縁者に看病を頼まないと

いけない状態となった。

20日に支給される給金1両2分を渡すが、これでは薬代には

足りず、代官の手許金から追加し、布団も2枚遣わした。

にも拘らず22日夕永眠。

 

でも、薬価代が高いですね

1両2分で足りないというのですから、貧乏人はうっかり病気に

なれないというのは古今変わらない事です。

薬9層倍といいます。儲けが有るようになってる

『江戸名所図会 1巻』より「本町薬種店(ほんちょうやくしゅだな)」

3月頃から具合が悪そうだったが3度の食は摂ってた

一応医師に診せたが、何分にも急に悪くなったので

手当てする間もなく亡くなってしまったという。

 武家の葬儀
 

葬儀の準備をしなければならない

参考まで加賀前田家で算用方を務めた猪山家では

前田家の場合ですと、葬儀は簡略化されいて、

加賀藩前田家で算用方を務めた「武士の家計簿」の猪山家は、

葬儀は1年に11回、51匁(22万円)

葬儀には余り掛かってないのである。

これは、当主本人が亡くなった場合は、

勤務先の上司・同僚等は、勿論関連するので出席等しますが、

そうでない場合は、出席しないしお金も包まないからである。