与力冠木門

例外は奉行所与力の家で、ここだけは玄関に奥さんが出てきたという。

そのお陰もあってか、与力の奥さんだけは、通例の御新造ではなく

一段上の奥さんという名称になったのだという。

ちなみに御新造と言われたのは、新しい嫁さんが来ると、新妻の為に

新しい部屋を一間作った事から御新造と呼ばれたという。

 

与力で200俵取りであった方の家

私の江戸の市ヶ谷の住まいも決して美麗とか立派という訳も

ないが、400坪の地面があって座敷から隠居所まで大小の

間数が11軒、200俵取りの与力の家として相当のものであった

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歌舞伎で 切られ与三がお富さんに「おかみさんへ ご新造さんへ 

やさお富 ひさしぶりだなぁ~」と呼びかけてますね」

御新造というのは、上流の町人でも使いました

これが 長屋のおかみさんになると 「嬶(かかあ)」と呼ばれます

嬶(かかあ)天下とも使われる。

女房は鼻に付くようになると「嬶(かかあ)天下になるのかもしれない

 

それに対して庶民の家には玄関は無い

庶民の家の入口は「上り口」といわれました。

上り口で声を掛けるとすぐ返事が来るスタイルです。

庶民の家の上り口

玄関や床の間というのは勝手に作れるものではなく、明治になって

自由に造られたもので、江戸時代には或る程度身分の高い人で

名主などもそうです

嘉永年間には283人居たそうです。黒船来航の年です。

文豪夏目漱石の家もそ牛込で名主をしてました。

漱石が幼い頃の押し込み強盗にあった話は何度か紹介してますね。

 

訴訟が有ると奉行所で取り調べが有り、御白洲で判決が言い渡されるが、

その前に、町の自治力で大体揉め事は処理され、そうでない案件が

奉行所に訴えられていました。

町で問題の調停をしたのは名主。

町人ですが、今の町長のような役割を果たし、には、幕府開創以前から名主を

務めていて、それは敬意を払われ(草創名主)といわれ、それ以外は、新しい

名主で「平名主」といわれ、大体、10町くらいは担当したという。

 

名主の家には玄関があり、そこで調停をされたので

「げんか裁き」と云われたそうです。

此の辺の事を南町奉行を務めた山口駿河は

「旧事諮問録」で、

「喧嘩とは、小さな訴訟は名主が裁判するのですか」

との問いに「そうです。まあ、ちょっとした事、

ほんの内輪もめ事などです。

兎に角、悪い者を町内から出したりして、お奉行の耳に

入れないようにするのが、名主の働きでした」

 

「金の出入りとか、斬ったりはったりしたこともですか」

この問いにも「斬ったりはったりしたのは大切で

目付が知ってしまいますから、そういうのは奉行所にいきます。

ちょっとした貸借くらいのことです。

和解へ持ち出すような事は名主です。

真の公事(裁判)を起こすとなると奉行所に出さねばならないです」

 

「斬ったりはったり」とは、人が重傷を負ったり

或いは死んだ場合でしょう。

 名主
 

ここから名主の事を「げんか様」あるいは

「おげんか様」と呼ばれた。

給料は、町入用から支払われ、代々世襲制であった。