吉原

東海道五十三次之内 大津 走井茶店 | 知足美術館

吉原と言っても東海道の吉原ではない。

どうも最近そちらを連想するのが多い。

やっぱり広重の絵というのは見やすいからなのでしょうか?

 

こちら遊郭の吉原に居続け或いは仕事をさぼるなどのことしてる弟

しかし、その後弟がとんでもないことを計画してるのが発覚した。

それは女を盗み出す事だった。

いわゆる足抜けです。

金を払って奉公させてる遊女に対する罰則は厳しいものでした。

奉公というのは幕府の建前ですけど。

「御定書」には、「商売をしている夫が妻が同意してないのに

売女させた時夫は死罪。

但し、飢渇の夫婦者が申し合わせて売女した時は、

他に盗みなどの悪事をしていない時は究明に及ばず」

 

つまり女房を遊女奉公に出す事は禁止なのです。

しかし、実際は両方示し合せての事が多く、その場合、

女房の実家からの通報で発覚することが多かった。

この場合、夫は一旦牢に入れられるがすぐ御赦免になる。

但し、それは、吉原で遊女奉公をした場合だけで、

岡場所の場合は全く異なった。

但し、例外もあります。

それは江戸城の数寄屋坊主が妹を吉原に遊女奉公に出した時は

これは死罪となりました。

妹となると違うのです。

 

しかし、こういう条項もある。

「父が娘を養女に出し友情奉公に出されたと、

実家から訴えが有っても取上げない」

 

父が娘を遊女奉公に出すのはOKなのです。

この事は、遊女上がりに対しての世間の評価と関係している。

当時は、遊女になるのは家庭の事情でやむなくなったことであり、

当人の過ちではなく、従って、遊女を落籍せて、

或いは年季を終えた遊女を女房にすることは普通であったのです。