お供は辛いものです 北斎漫画絵

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前に100俵取りの家計を紹介したがその中に奉公人の欄があった

●奉公人3人の給金  5両2分

    明細は小侍が1両2分、小女が1両、下男が3両。

小侍というのは名目だけでも名字帯刀の侍を置かねばならなかった

100俵取りですと3人で済むが、これが収入が増えるとそれに伴い

奉公人の数も増え、人件費も増大し、お仕着せや股引なども

作ってやらねばならず、盆や年末には小遣いも上げねばならない。

そうでないとケチと言われ他に移られてしまうからである

口コミというのは今でも強力な伝達方法なのです。

 

奉公人の種類は2つである。

奉公は節季の1年契約のものと、長期の複数年の契約の2種でした

長期の契約というのは、少ないのが殆どで大体は節季奉公でした

節季は大体3月5日か9月5日に契約更新する。

他へ好条件を見つけ動くものもいれば契約更新して続けるものと両方ある。

継続であれば、仕事が評価されてるわけですから幾分賃金も上がる。

そちは2世 あれは3月4日まで
下女にうっかり手を付けた旦那、女房に咎められ、

お前とは2世を誓った仲だが、あれは3月4日までと、

苦しい言い訳です。

 

ちなみに前日の3月3日は、大潮で干満の差が大きく

潮が最も沖に引くので海が干上がる。

それで、江戸市民は潮干狩りに行った。

「東都歳時記」によると、「芝浦、高輪、品川、

佃島、洲崎、舟に乗じて遥かの沖に至る。

海底陸地と変ず。

此処に下り立ちて、牡蠣、蛤を拾い、砂中のひらめをふみ、

小魚を得て宴を催す」

蛤や浅蜊や小魚など取って楽しんだ。

高輪の海 こんなに近かった
 

3月4日 納雛

雛祭りが終わり御雛様を来年まで仕舞っておく

 

江戸の風習では、この日は、何故か、あさつきの膾を食べる。

アサツキというのは、匂いがきつく、女性には人気の無い食べものであり、

当時の人も、何故食べるかは判らない。

名前の由来は、葱に比べて色が薄い(浅い)ことから名付けられた。

 

何故、この日に食べるかは、3月4日は奉公人の

契約更新日であるので、この日に、あさつきの膾を食べた

又、納め雛の時には、蕎麦を食べる風習があった。

「2つ3つ蕎麦屋4日の忙しさ

 

奉公人の下女の事を、別名・相模という。

これは、江戸の下女奉公のほとんどが出身が相模国が多かったからで、

住込みの下女の給金は年3両2分だった

衣食住付で、たまにはお仕着せ(制服)・小遣いも支給されます。

年末ですと1人100文から300文ですから千文近い。

爪に火を点すように生活してる家計ではそれすら大変です。

では、仮に辞めてその後の補充はというと、

結構自薦他薦で来たそうで買い手市場と言っても良かった

特に難しい条件でも出さない限りは江戸中で契約更新の人は

多くいたからで自身で売り込みに来り、口入宿からの紹介、

奉公人仲間の口コミ、或いは親戚からの紹介などあったからです。

 

その証拠に寛延3年(1750)奉行所が最近奉公人の風俗が

がさつになってるので、注意するために江戸中の保証人たる請け人を

呼び集めたら、その数「万を以て数ふ」とあり、

奉行所の周辺は立錐の余地もなく大混雑であった。

如何に多くの人材需要があったかを分かります。