屋敷地を変えようとしてたのか、以前から情報を得ようとしてたようで、
親類などから物件のお買い得情報が上がってきてました。
下谷広徳寺前に土地は200坪、家作、土蔵付でしかも瓦葺き、
修理の必要のない好物件であった。
しかし、商談は纏まらなかった。
理由は金の問題で、引料(引越料)が60両を提示してきた。
こちらの見積もりでは45両までは考えたが、
折り合えず破談となった。
2番目の件は湯島の物件でした。
230坪の土地斗50坪の家・土蔵が付きがあり、相手側は40両で
相対替えを希望、此方の条件は家と土蔵、長屋、戸、障子、襖
などの建具を込みにしての13両でしたからこれも流れた。
3番目は牛込の物件で230坪で値段も55両より1文も負けないと
言ったに対して、こちらはやはり45両以上は無理だとして折り合わず
破談になった。
結局この3件の結果、住みかえの話は止めにして、改築の方向に
話は進んだようです。
しかし、相対替えで親類がうまく立ち回ったケースもありました。
160坪の屋敷を300坪の家屋敷を30両とを払って自分の物とし
或いは別な家は150坪家屋敷を316坪と相対替えし、更に、10年後
100両出して400坪の家屋敷と交換、更に面白いのは
400坪の家屋敷は、家土蔵は元より台所道具やら庭木に至るまで
一切だったのです。
そして手に入れたこの家屋敷を他の旗本に貸して金を稼ぎ
自分たちは組屋敷があったのでそこに住んだといいますから
ぼろ儲けのようなものです
そして、こうした旨い条件の物件との相対替えも出来たのも
御庭番の川村家と同じで奥祐筆の引きがあったからという
やはり手蔓が無いと上手くいかないのはどの時代でも同様でした。
奥祐筆というのは文字通り老中の手足であり頭脳ですから
幕府の情報を得たい人には貴重な接待相手でした。
以前紹介しましたが、八百善の料理切手を貰った奥祐筆ですが、
忙しかったなのか使うことが出来ず、知人に譲り、譲られた知人らは
早速仲間と一緒に高いので知られた八百善でさんざん飲み食いして
さて御勘定はというと、それでもお釣りが出たといいますから
何十両というものであったのでしょう。