参考

「200石取り ...」の画像検索結果

ここで書いている主人公は200石取りで幕臣が

2万5千人いる中では上位に入る。

いわゆる100俵以下が非常に多いからです。

では、その上位に入る200石取りの屋敷を紹介します。

場所は、小石川で大きさは150坪くらいで、

屋敷の形態はまるで鰻の寝床のようで東西に細長く、住まいと土蔵と

庭には築山、果樹、竹林、畑があった。

200石取りの屋敷

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回りは同じような身分の家で隣家との境は垣根で、表には柾と杉、

北の境には柾の他に丸太杭と竹と葦簀で作ったものだった。

表門と通りの間には小さな橋が架かってたが、しかし、

それは米を積んだ馬が来たら壊れてしまうような造りでした。

門の屋根は杉板葺きの黒塗り、瓦葺はこの時代、1756年宝暦6年だが

小石川辺りでは板葺きや萱が殆どだった。

「江戸 小石川 絵」の画像検索結果

その後、今も使われている「桟瓦」が開発され、

重さもかるい為に、柱や棟も太くする必要が無いので、

以後急速に普及した。

 

勿論、幕府は火事を恐れて瓦にするようにと費用を拝借金として高割

100石には20両、200石には40両、5千石以上9千石以下までには

400両として貸し与えていたが、何分、手元不如意の為に板葺きであった。

「本郷もかねやすまでは江戸の内」という川柳があるが、本郷というと

今の東大のある所で加賀前田家上屋敷のあった所で、近くに「かねやす」という

お店があり、今もありますが、どうもこの辺までが瓦屋根があって、

その先は板や萱葺きであったと言われてる。

 

屋根の場合、檜皮(ひはだ)、杮(こけら)、勿論、瓦と有り、

それぞれ職人がいた。

軽袴に足袋を履き、草履で仕事をする。危ないので、

命綱をつけていた。

口に釘を含んでいるので、話しは出来ない為に、次の様な川柳が有る。

あい見ても 物言う事の堅ければ 口に含みし 釘もうらめし

 

檜皮葺きは、格調高いものであり、昔から寺院や貴族の屋敷に

使われていた。

樹齢70年くらいの檜の皮をはぎ、屋根材にする。

剥ぎ取るのには、かなりの技術が必要であり、

原皮師(もとかわし)と呼ばれる専門の職人がいた。

 

足場を作りながら、5,6枚重ねた檜皮を少しづつずらしながら、

竹釘で仕上げる。

5人1組で行うが、1日に2坪やるのがやっとといわれる

根気のいる仕事である。

 

柿葺きは、木片で屋根を覆う工法。使う木としては、

さわら、杉、栗が良いとされた。

 

萱を初めとする草葺きの屋根は昔からあり、

他には、葦、藁、麦藁などもある。

萱屋根は、4,50年は持つ屋根である。

囲炉裏などで薪を燃やすために、

その煙が萱を丈夫にするのである。

 

話が遠くなってきましたが、上記のような職人が居て専門の

分野で仕事をしたが、下級武士の武家屋敷では自分で

家の修理などは自分でやったというのが当主の仕事であり

苦しい家計を助けたのです。

穴蔵  
メタボンのブログ

流石に土蔵や桶や穴倉などは職人を頼んで作ってますが、

隣家との境の垣根などの葭簀も古着屋で有名な柳原で

葦を買ってきて自分で編み、障子の紙の張替えや、襖や

壁なども白松皮紙を買ってきて腰張りした。

当主の身でありながら雪隠の壁紙を赤浅草紙で貼る仕事もしてる

赤浅草紙とは、いわゆる再生紙であり1回使用された便所紙を

再生し古巣である雪隠の壁に使った訳です。

いわば故郷に帰ったという事です。