次は、環境が全く違う農家の娘の場合です。
農家の場合は、嫁に行くの目安として、機織り、着物や足袋が作れ
味噌、醤油、饂飩、蕎麦などが自給できる技を身に付けて行く。
地域によっては、娘宿と言って男の若衆宿と同じく1か所に
集まり色々な事を覚えた所もあるようですが、一般的には
娘は10歳頃から奉公に行くことも多く一律では無い
但し、有るところでは婚活の場ともなった。
2種類に分かれる。
裕福な家の娘とそうでない娘の場合である。
裕福な娘の場合は早婚である。
10歳ころから武家屋敷などに奉公に行く。
これはあくまでも花嫁修業の一つであり、お屋敷奉公をしたという
実績が箔をつけるからである。
尤も仮に江戸城大奥の奉公であれば、水汲みなどの仕事だが
それでも奥女中と言われればそうであるに違いない。
下働きの女中でも、里に帰る時は、奥女中の特徴である髪型は
椎茸たぼにし化粧も似せて衣裳も変え言葉もそれらしくすれば
立派な奥女中の誕生であり、そうしたことは黙認されていたようです。
そして18歳頃奉公を辞めて親元に帰り嫁ぐケースです。
この場合、武家と同じで同じ階層である名主なら名主の息子との縁組が普通である。
豪農の妻は、幼少から夫と同じ環境にあるために、奉公人を使ったり
夫の実務を代行したりするなどの事もしてるケースが多い。
そうしたものが要求される。

子守り奉公は、あくまでも口減らしですので食べさせてもらう
給金は無いのが普通です。
幕末に日本に来た外国人が驚いたのが、この赤子を背負う子供の
姿でした。
幼い子が赤子を面倒見る姿に驚き感動したのです。
自国ではまず見られない光景でもあったからでしょう。
一方通常のケースでは、10歳ころから子守り奉公をし2,3年すると
親元に帰り、再び奉公に行く。
そして娘時代を終わり、それから嫁ぐのであるから24から
30歳頃に結婚が多かった。
その結果はというと、晩婚であるために子供を産むのが遅く
数も少なくなるために家の生産力が低下する。
そして、家の継承者が無く絶家となる。
又、年齢が行ってるために若くして姑の教育を受けることも無く、
自我が発達してた。
奉公の種類はというと。
1、機織り
技術を身に付けて、嫁いだ後は機織り機を借り、賃機(ちんばた)
をして仕事をして稼ぐようにする。
2、農作奉公
稲、綿、茶摘み、養蚕、田植え、収穫時における臨時の短期だが
高給です。
月の内6日勤めて3分ですから貴重な現金収入であった。
下女奉公よりも良かった。