第12候 春分 末候

雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)

稲妻

雷といえばやっぱり怖いもので、親父の方は優しくなったのか

あまり勇名は聞かなくなりました。

初めて鳴る雷を「初雷」と呼び、立春以降の雷を春雷という。

夏の雷とは違い1つ2つ大きくなることである。

春本番を告げるかのようである

 

雷といえば、雷除けで浅草寺のホウズキ市はあまりに有名です。

4万6千日の時に売られるものですが、江戸時代は、主役は

実はホウズキではなく赤いトウモロコシだったのです。

 

現代では、ほおずき市の名は有名ですが

江戸時代は、4万6千日で知られていて、

途中からホウズキが売られるようになり逆転した。

 

これは、雷除けにトウモロコシ天井から吊るしておくと

良いとされていて,

「守貞漫稿」にも「文化以降境内に於いて専ら

赤色のトウモロコシを世俗これを買いて、

天井に挟めば雷を免ぐるの呪と云々」とある。

 

雷が落ちた時、偶然なのか赤唐辛子を天井から下げていた

農家だけが雷から免れていたことから有名になった。

 

ところが明治初年に不作が原因で赤とうもろこしの出店が

できなかったことから、人々の要望により「四万六千日」の

ご縁日に「雷除」のお札が

浅草寺から授与されるようになり、今日に至っています。

 

今でも、浅草寺には三角形の形をした独特の

雷除けの札があるが、三角形の守札が避雷針の

代わりだという。

 

江戸城大奥では、初雷の時には梅干しを食べるのが例でした。

梅干しの肉をお舟に入れて下さいます。

梅干しばかりでなく、干し菓子も入れました。

雷鳴・地震の時は、夜中でも総出仕と決まっていました。

 

浅草寺の4万6千日といえば、江戸城大奥で最も盛大に

行われた祭でした。

大奥では、この日の夜、御火の番の詰所に伝来の観世音菩薩を

祀り提灯を飾った。

又、店も出て縁日のようになる。

これらの店は、かつて長局に出入りしたものや、部屋方として

勤めていた老婆であり、小間物や服地の切れ端、草双紙、

錦絵を売った。

将軍が出てくるような事を書いている本があるが、

それは、あり得ません。

 大奥・模擬店
 

そして、これからの事がメインイベントなのです。

店の老婆が何時も決まって新参の女中に囁くのです。

今夜、特別に宿下がりが許され、午後8時ごろ七つ口の扉が

開けられ、しかも、平川口までギヤマン船が皆を

乗せて帰れるというのです。

 

もう、女中は気もそぞろで、思いもかけない宿下がりが許されるのです。

喜んで外出の準備をします。

そして、時間近くになると七つ口に集まり、今か今かと待つのです。

悪戯ですから開く訳が有りません。

開けて下され、開けて下され」と喚き、棒で戸を叩いて騒ぐ。

 

そこに火の番やお使番が来て女中たちを宥め或いは叱りつけ

子供などは泣きだすのも居て部屋に帰すのに骨折ったという。

 

このギヤマン船の見世物は、文政2年秋に両国で、天保7年には

浅草奥山で興行し、江戸中の評判となった。

文政の流行歌に

御殿女中とギヤマンは 褒めちゃ見れども乗られまい

というのがある。

 

又、亀戸天神の境内にあった妙義神社は、「卯の日」がご縁日で、

商人や芸者などの参拝客であふれました。

ここは、農作物が豊作であるように、蚕の繭玉くらいの

大きさの餅を柳の枝に挿した「繭玉」が名物でした。

亀戸へ 蝶の群がる 初卯の日

繭玉が蝶のように見えるのです。

 

又、道真が雷神となって藤原時平に報復したという伝説から

雷除けのお札も評判でした。

それを買って髪に挿して帰るのです。

歌舞伎俳優市川団十郎