目黒不動之図

目黒不動の名で有名です。

泰叡山滝泉寺(りゅうせんじ)、天台宗、本尊は不動明王。

五色の不動というのは、目の色の差別の事にはあらず、

護摩修法祈祷の説の幣帛3ヶ処ともに、

色合いの変わるによって名づけたりとなん」と、

「遊歴雑記」に記してます。

 

泰叡山・龍泉寺は大同3年(808)に慈覚大師が開創したと

伝えられ、関東最古の不動霊場として 日本三大不動

一つに上げられます。

 

江戸時代には3代家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、

それ以後幕府の保護を受た。

この寺で発行する「富籤」は、湯島天神・谷中感応寺と並び

江戸の三富の一つとして有名。

幕府はこれら富籤の収入が年間3万両と云われた。

富籤の販売所

文政年間には、一つの町に、3か所あったというから

如何に盛況であったかがわかる。

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毎月9日に行われました。

下の絵の女性の帯にも大当たりという字が見えます。

ゲン担ぎなのでしょう。

本人は自分のが一番当たってほしいと思ってるでしょうね。

 

富籤は一枚の値段が金1分(2万円くらい)大当たりは千両

だったが、あまりに1枚が高いので購入できないために、

1枚金1朱と半分の値段に変更され、大当たりも百両となった。

 

1人で買えない場合はグループで買ったりもしたようです。

ただ、売り出し当日は大変な混雑で買えないことも多く、

人によっては着物が破られるからと、褌一丁になり、青竹の

先に金を括り付けて、籤をくれと売り場に出したのもいたという

 

そして、大当たりの夢にも見た抽選日が来ます。

当たったら何を買おうかと獲らぬ狸の皮算用ですが、

抽選は厳密に行われる。

絵を見てもわかるように正に人が密集してます。

「突く日には 湯島湧くほど人が出る」

寺社奉行立会いの下に行われ、当日は大勢の人が詰めかけ、

大変な熱気だった。

 

境内には読経の声が流れ、人びとは今か今かと待ちわびている。

やがて読経が終わり、発行された富くじと同じ枚数の

小さな木札を入れた箱を、僧が上下左右に揺する。

籤の箱には穴が開いてあり、販売した富札と同じ数だけの

木札が入ってます。

箱の大きさは、高さ60cm、横と高さは同じ24cmの箱で、

錐で突きます。

人びとが息をのんで見守るなか、目隠しをした者が、

箱の上部の穴から、柄の長いきりでエイッとばかり木札を突き差す。

当たり番号が読み上げられると、どっとどよめきが起こる。

悲劇も起きます。

「富札の引きさいてある首縊り」

 

いきなり大当たりを突くのではない。

最初に30両、2番目、3番目が小当たりでそれから

10番目、20番目と10ごとに10両が当たり、最後が

突き札といい最後のチャンスである

 

もし当たった場合、全部貰えるわけではなく1割は寺へ

奉納され(坊主丸儲けです)文字通り寺銭ですね。

次の富籤を5両購入し、さらに5両の御祝儀も強制され

残る80両が取り分です。

 

出来れば誰にも知られずに貰いたいというの切なる願いだが

そうはイカの何とかです。

大八車の上に角樽や祝いの品を載せて、その上に80両を

乗っけて若い衆が賑々しく派手に運んでくるのです。

もう噂を聞いた有象無象の知らない友人親戚が列を作って

待ってます。

中には商売に差しさわりが出て倒産したという悲喜劇が

あったという。

現代もそうだが悲喜劇は色々あるようですが、それでも

夢を追うのがいつの世でも同じです。

 

こうした富籤は、値段が高くて庶民には買えない。

そこで登場したのが、1枚を安く買える陰富籤でした。

湯島天神の陰富は、闇の発行人がいて発行枚数も同じ。

札の値が安いだけに(100文くらい)、賞金は安い。

売り子は瓦版屋を装い、売り歩いた。

官許の富くじの当たり番号はその日のうちに瓦版となり、

1枚4文で売って歩くので、賭けた者はすぐ当たりか外れか

わかるので、売り子は当たった者に賞金を届けて回った。

この陰富の元方は簡単にやれるかわりには、

捕まれば御法度破りであるから遠島を申し渡された。