オシッコの話です。

ただ、何時から「オシッコ」という言葉が

使用されたのかは不明。

川柳では、こう表現されてる

娘シィ 年増のはジュウ 乳母はザァ」



ししならば ししといいやれ と拭いている

上の句は、まだ小さい子がおもらしをしたのを見て

母親が注意してるところ。

可愛い盛りですね。


江戸では、男は小便といい、

女は、しし、或いは、おしし。

幼児語では「しい」と呼んだ。

尿は古くは、「溺」(ゆばり)といった

芭蕉は「蚤虱馬の尿する枕元」と詠み

一茶は「小便の身震い笑えキリギリス」と詠んだ。


男なら「小便を2階からする面白さ

吉原は2階でないと便所はありません。

そこで、吉原で遊んでいるんだという自慢もある


小便を巡っての小咄もある。

芭蕉の弟子である榎本其角、「わび・さび」を

基調とした芭蕉とは違い、洗練された

江戸っ子気質が特徴で、

才気煥発で、忠臣蔵で討ち入りの日を巡って

大高源吾のとの問答にも登場するので有名。

其角の友人でこれも書家で名高い左文山がいた。

吉原の揚屋


或る時、遊郭の高級揚屋で飲んでた時の話し。

揚屋の主人は今を時めく榎本其角に、

自慢の金屏風に一筆を書いて貰い箔を付けようとして、

揮毫を頼んだ。

すると其角は、屏風に「此の所小便無用」と書いた。

主人は真っ青になったが、脇に居た文山がすかさず

その句の下「花の山」と加えた。


すると洒落た文句となり、翌日からその屏風を見ようと

評判になり客が列を為したという。

「五文字足して名句になった小便所


或いは、お妾さんが愛用?したことも有る。

「小便をして逃げるは 妾と蝉」

明和年間から天明にかけて、

小便組という妾集団が町人、武士を問わず猛威を

振るい大流行しました。



これは、妾として手当を貰うのですが、相手は、

中以下の大名、或るいは旗本、大商人が標的でした

これにも仲人(口入宿)が居て斡旋します。

結婚だけではないのです。


最初に支度金、顔を見て契約が成立するかどうか

決めますから、決める場合は、最低でも3両以上

気に入った場合は10両というのも珍しくありません。


大名なら奥に入るか、或いは無難な所で下屋敷

上屋敷は正室が居住してるのであまりに強い

刺激を与えることは無用です。

もっと金があるなら、町屋を買ってそこに住まわせる。


ですから、自身の容貌に相当の自信があったのでしょう

当初は、御愛想を振りまいて気に入れれるようにします。

閨でも甘い睦言を云い金を引き出します。



絞るだけ絞り、もういいだろうと見切りをすると、

作戦を決行します

冬の冷え込みの厳しい晩、宵からたっぷりと

水分をとっておいて、床の中で旦那が温まった頃、

溜めに貯めて置いた水気をたっぷりと布団に

やらかします



「身引かんとする際に 妾垂れ

これは冷たいですね。

寝小便した時のあの冷たさと、その後の母の怒りしょぼん


妾は、慌てたふりをして「これは生まれつきの自分の

悪い癖で、今迄でなかったのが、今夜は・・」

言い訳し、これを連続でやると大体けりが付きます。

幾ら良いと言っても布団の中で小便垂れ流しでは

興醒めです。

これで別れて次の旦那を探す。

これを繰り返すのです。


ここで3両かしこで5両 取って垂れ


中には鷹揚な男もいます

消渇の黄身かと殿は初手は聞き

消渇は淋病の事です。

こうした性病などでは驚かないのです。


「家老が灸ゑている寝小便

或いは、寝小便に利く灸をすえる家老もいます。

しかし、やろうと思ってやるのですから、どんな治療も

利きません。

お妾の乙な病は寝小便


腕の良い小便組は、見切りが早いです。

次から次へと旦那を変えるのです。


中には、もっと是よりレベルの低い妾、容貌に

自信のないクラスでは、掛け持ちをし。

「安囲い」といわれ、1人1両で3,4人旦那を持ち

順番にしていたという。