尻と顔両方へ出る娘の屁


又、屁の3徳がある

1、気分がすっきりする

2、腹がすく

3、尻の埃が取れる?

ともあれ人間は1日1000CC以上の

ガスを出すといいます。

溜まるのは決して体にも心にも好い事はありません。

思いっきり出しましょう。


ありとあらゆる神がいた当時です。

屁にも神様が居ます。


別名・ベロベロの神

すかし屁をした当人を見つけるのである。

そこにいる人が車座になり、紙で紙縒りを作り

囃子言葉を唱える。

ベロベロの神は 正直神よ 

    誰がした、彼がした  した方へ つん向け

ただ、残念なことに、この神は、神様の戸籍簿には

載っていません。

竈の神とか雪隠の神、或いは、「しょう神」眠気を

催させる神々がいるのですが。


神名帳に 見えぬは屁ひり神 」

この神を評して「屁ひりの神 正直なる神也。

よく小児を愛し、ひとのいふままに向て、

おかしき事を好む」


江戸時代には、屁を売り物に見世物小屋で披露した

「屁ひり男」もいて評判を呼びました。

楽器の音から動物の音まで何でもござれであったようです。

ただ、弱点は2度は聴きにいかなかったようです。

その内、屁のように消えて無くなりました。




その名は「霧降花咲男」後に改名し「曲屁福平」

なんとロマンチックな名でしょう。


恋川春町は、その本の中でこの曲屁男を絶賛してます。

その誕生を「その時、この子、盥の内にて天に指さし

尻に指さして「屁上屁下唯可屁糞尊」

釈尊と並べての輝かしい誕生シーンです。


平賀源内に「放屁論」という本がある。

この中で、源内は、実際に両国の見世物小屋に

行って見学した

希代の放屁男を絶賛している。

「屁の曲ひりを興行し古今無双の大当たりなりし。

屁の曲と云えへるは、昔より言い伝えし梯子屁、

薙刀屁等いえるものはさらなり。

三味線小唄浄瑠璃に合わせて、面白く屁をひり分けたり。

実に前代未聞の奇観なり」


中に入ると、囃し方を控えて座っている。

色白く、痩せも太りもせず、薄い藍色の単衣に

真っ赤な襦袢、爽やかな口上。


最初に、三番艘屁、次に夜明けを告げる鶏の時の声、

その後は水車、体を回して回転させ、

水を汲みあげる車を思い出す。

犬の鳴き声、花火の響きなどは当たり前で、

長唄、義太夫なども巧みに鳴らすのである。


川柳も後世にその偉業をたたえ、

大笑い 尻の穴から 梯子が出

源内も帰って友人たちに絶賛したのである。


「2寸に足らぬ尻の穴にて自在の曲屁。

然るにこの屁ひり男は自身の工夫ばかりにて

師匠無ければ口伝無し。

下手浄瑠璃の口よりも、尻の心意気が抜群に良し。

奇とやいわん妙とはいわん。

誠に屁道開基の祖師也」


世では、取るに足らぬ事を「屁のようだ」といいます。

その無益な屁で以って、芸にまで高めた事を

褒めるのです。



屁といえば、変わった職業が有りました。

「屁負い比丘尼」といいました。

これは、大家の奥方や娘の外出について行って雑用を

こなすが、一番の仕事は、奥方や娘が放屁を

した時、自分がした事にする役目で、

耳が良い事は勿論、一瞬の演技力も必要でした。

日当は幾らであったでしょうか、成功報酬で

行われたのかどうか、定かではありません。


川柳では、お得意様といえば嫁・下女がそうです。

今もそうですが、人前ではしないことが当たり前で

はしたないとか、不躾とかにならない様にしてます。

特に、嫁などは緊張しどうしで気も抜けません。

出そうなだと思ったら

「屁をひりに 嫁は中便垂れに行き」

大でも小でもないのです。

溜りに溜まってますが、堪え切れずに行く、

これは普通の事です。


姑も溜まります。

嫁女(よめんじょ)や 許っさしゃいと 3つひり

我慢して我慢してもう限界だったのです。

それでも嫁に許っさしゃいと声を掛けてるのが

ましです。

でも、3つというのは相当なものです。


そして「姑の屁を 笑うのも安大事」

思わず姑が屁を一発、ただ、ここで気を付けるのは

姑より先に笑ってはいけないのです。

姑の虫の居所によっては、冷戦状態に突入する事も

あるからです。


之とは反対に

手を出っさせへ と物差し姑出し」

これは説明しないと判らないが、当時は、

裁縫で使う物差しを嫁に渡すという事は、

私はあんたを気に入らないよ、

もう宣戦布告です。

何時でも出て行っていいよ、そう意味だそうで、

激しいバトルがあった事でしょう。


尾張藩士の日記では、姑と喧嘩し、普段から折り合いが

悪かったのでしょう嫁が庭に飛び出し、

脇差で立腹を切ったという過激な事件が記録されてる。

立腹というのは、文字通り立ったままで

腹を切ることで

相当な覚悟がいるでしょう。