大森

3日目には梅の木到着。

旅に必需品の薬・和中散の名で知られ江戸大森にも

店が有り是斎の名で有名でした




又、近くには錦絵問屋が有るので、そこで土産の

浮世絵を買い、そして、薬を買って旅立ちです。

目の前の店

ここでは伝説で名高い百足山が見える美しい

景色が見える茶屋で休み、更に、石部宿では

「イギリス通訳の小憩所」という看板があった。

水口宿


ここでは贅沢な弁当で1時間15分も食事に

掛かった。

魚と吸物と米の飯だったが立派であった。

次の大野では、雉の味噌漬けで有名な所だが

茶を飲んだが、美しい少女が馬鹿に恥ずかしそうに

給仕をしてくれた。

大野宿

前野宿は茶の名産地でした。

ここで我々は身分にかかわる事をした。

それは、店先で30分足をとどめて茶を喫した

ことでした、

これは、身分の高い人は決してやらない事で

数種類の茶を味わった。


茶店の主人は、美味しい茶の葉は、

処女が摘んだ葉でないと断言したが、何も知らない

外国人を騙したものだと思う。


街道を旅にしてた時、最も困惑したのは我々に

対する土下座であった。

これは先頭に居た町役人たちが、「シタニオロ」と

叫んでそういう姿勢を取るように強制したのだった


当時大名に対してはこのような敬礼が行われていて

将軍高官、例えば神奈川奉行に対しても

土下座しなければ成らなかったので、居留民は

皆憤慨した。

生麦事件現場

これまでこの礼に反して行動したのは、

リチャードソンだけであった。

(生麦事件の死亡者)

それに反してヴァンリードの場合は、

当日行列に出会ったが

敬礼をして行列をやり過ごした。


私も苦い経験をした事がある。

或る時、侍の子弟が学ぶ学校を見る為に府中へ

行った時の事でした。


私は靴を脱ぎ帽子を置いてから部屋に案内された

その時生徒は正座し、漢文の書物を前にして

6人の教師の下で、1人の生徒が暗唱するのを

復唱してた。


私が挨拶したのに誰一人私の挨拶に応える生徒は

無かった

すると、護衛が私に坐って挨拶と注意を促したお蔭で

いたらぬ事に気づき、坐ってお辞儀をした。

すると、これに応えて挨拶を返してくれた。



その後は私も足の関節が固いが許す限り日本式に

することにした。

だが、私が畳に頭を押しつけている間に、

相手の男が頭を下げずに居て、前の「夷狄」を

軽蔑していないだろうかと心配した。

実際、日本人同士でも相手がきちんと低く頭を

下げてるかどうか、横目で見ながら確かめてるのを

見ている。

真の礼

私たちが大きな町を通ると住民がこの時とばかり

どっと押し寄せるの常であり、桑名に着いた時は

大群衆が待ち構えていた

我々の行列は急に道を変えて行き、

本陣に到着することが出来た。


これは、幕末日本に来た外国人が全員経験した異様な

出来事でした。

何しろ、風呂から飛び出して見に来るというのです。

当り前ですが裸です。

それを誰も何とも感じない。

これは共通して外国人が物見高い日本人として

紹介してます。


そこには、万古焼、美濃の奇岩、名古屋の扇などを

売りに来た商人らを相手に買物をして過ごした。


桑名から宮までは、帆船で横断した

板屋根の至って汚い舟であり、7時半に出て

11時過ぎに到着した。



午後は名古屋見物にしようとした

名古屋は、信長が作った城が自慢であり

それを見物しようとした。

ところが、役人は、我々を東海道から

離れない様にいう命令を守り、

連れて行こうとしなかった

尾張藩主 徳永慶勝撮影


翌日は、インドのバンダーナと同じく木綿を

染める絞りで有名な有松を通った。

昔からオランダ館長が江戸参府の時に

訪れる店を思い出し寄ってみた。

バンダナ


有松宿

有松絞の店が目の前。

有松絞り


オランダ入が購入したリストを見せて貰い

数反の織物を買った。

此の家は、数兆の火縄銃を持ってることを

認められてる有力者で、家の作りも

普通以上にがっちり作られていた。


こうして旅は続いて行ったのですが、掛川の宿で

大事件が起きます。