ちなみに「旧事諮問録」の中で、将軍の受診の事が

記されてる。

やはり2人で診察したようです。

「食事中に髪を結うのが上手なものが髪を結っている

最中に、医師の診察を受けるのです。



御台所ですと、朝寝てる時に髪を結いましたと

ませ子は言ってます。

寝ながらですから、やり辛いいでしょうね

未だ、眠りから覚めてない状態でするのは大変そうです、


天璋院(篤姫)は、お目覚めがよく、大体起きていたそうです。

お目ざめを申し上げた事は有りません。

女中は、「お目ざめになってお宜しゅうございます」と挨拶し、

又、朝には「ますます御機嫌よろしゅう」と云い、

夜寝る時も同じ挨拶です。



又、中臈などに仕える下級女中の話しでは

朝寝ている主人の髪を整えることから一日が始まります。


「朝の四つにお寝梳きと云って、寝ていられるのを梳く。

アイノマが櫛台、鬢台、手拭掛け、大小盥を並べる。

梳きあがると起きて、お下(トイレ)へ行く、

帰られると「オグシアゲ」をする。

その間にお歯黒召しをするが、少しも頭を動かせぬので、

アイノマがそれからそれへと御道具を取って差しあげる。

ぱっちり(白粉)

御台などは京から白粉を取り寄せ、

女中たちはこの「ぱっちり」を使った。



お髪が済んでから、糠を使って化粧をされ、

白粉を真っ白に付けられる。

「パッチリ」という白粉あり、水に入れるとパチパチと音す。

三日前くらいに水で灰汁をだして置き、頸の白粉に用す。

それから常眉を立てる。


髪はお下げに結う、通常はお自下げなるも、

一日・15日、祭日には、おかもじを懸けたり。

「おすべらかし」の髪型にするのです。



トイレもついでに。

主人がお下へ行くと云われると、アイノマが朝顔

(木製で朝顔形の手洗い場)の所で、「オカツナギ」と

御手拭を用意して待ってると

「オタモン」が用床の引き戸を開けて、

三つ指突いてお辞儀をしている。

用が済んだ時分にあけると、出て来て手を清めるなり。


御台の話ではないのです。

長局の中の話です。

それぞれ上・中級女中は使用人を抱えてますが、

それでさえこの様子なのです。

ですから、御台や姫君・上臈に対しては

大変であったでしょう。


ちなみに御台の事は「御殿女中」から。

御台がくしゃみ一つしても大変です。

もう大騒ぎで、香炉が黒塗りの台に載っていて、その中には

常に槐・小豆・スルメの粉が入っていて、直ぐ、それを焚いて

お肩の前後から燻します。


鼻紙なども取ろうとすると、直ぐに取って差しあげます。

ご自身で取ることはありません。



医師の診察に戻ります。

御小納戸中に御膳番というのがいて、

是が医師の指図をする。

医師にも順番があり、誰々が何番に伺うという日が有って、

本道(内科)、外科、雑科に至るまで日が決まっていました。


毎朝10名くらい出て、2人づつ前に出て脈を取る。

本道の番ですと、御匙(奥医師)、若しくは前夜泊りの者が

側に寄って、袖口から手を入れて腹を診察する。

それが済むと朝食の膳が出ます。


大奥では、薬用の茶碗が有ります。

「おもく茶碗」

由来を調べたが判りません。

どういう字を使ったのでしょうか?

外は梨子地に御紋散らし、内は銀を延べたものが

嵌めてある蓋物です。

上げる時は三方に載せます。


お薬は御台子の間で御次の者が煎じます。

御台へは中年寄、将軍家へは御錠口が差上げる。

中年寄は、御台所だけに付くもので、老練の女中です




以前紹介した御殿医の桂川家では、将軍に与える薬として

何故か蘭方なのに膏薬が有りました。

その製造を伝える文が有ります。


桂川家は蘭方の大家であるにもかかわらず、

使用する薬として「膏薬」を使いました。

昔の阿蘭陀外科医の主な仕事は、

手術とお膏薬だったそうでございます。

おこうやくともうせば私の家にとっては

何より大事な事でございました。

殊にそれは公方様というのでございますから、

年に2回ほどのそのおこうやくのお拵えは

大変な事のように子供ながらに感じておりました


何故大変なのかというと、屋敷でするのですから

その悪臭は酷いものであったらしい。

内容として、松脂、鹿油、牛油、胡麻油、鶏油、

黄蠟、椰子油。

見ただけで想像もつかないような匂いのようです。


なんでもその日はさんぴん達も朝から

紋付きに襷がけ、大小もさして甲斐甲斐しい

いでたちです。

大門の前には丁度焼芋屋の釜の大きなものが

土竈にかかってしつらえてございまして、

それで脂を煮詰めるのですが、

何とも云われぬその匂いは鼻について、

この頃のような暑さの折だったら、

ほんとにどんなだったかしれません。

きっと近所合壁の大迷惑であったに違いありませんが、

誰とてそれを口にするはおろか、

思ってもならないのです。

上様御用の御膏薬にたいする不敬になるのですから

みんなでじっとがまんしてつつしんでおります


将軍への敬意の為、さんぴん(三両1人扶持)でさえ、

紋付きに襷がけ、大小の刀を挿して作業を行う。

当時の物々しい感じが判ります。

そして、この日はこの時とばかりに反身になって、

普段、人は3寸下げる所を頭を5寸下げて

行きますから大威張りです。


この膏薬は縁の下に置かれ、私が火傷した時に

大騒ぎして畳を上げた事がある。

そして、この膏薬は将軍に使われるのは極く微量であり、

大奥の女性に使ったり分け与えたという。

但し、売ることは許されなかった。