新居関所 大名行列

手形は貴賤を問わず、大名の妻子は勿論お付の女性、

百姓や町人の女房に至るまで関所手形を持

参するのを義務づけられた。


この関所手形は、関所で受け取ったものを

江戸に年に2回返送し

発行した手形の数と合致するか確認された。


印判の確認は幕府は厳重にしました。

例えば、「御定書」で謀書謀判という罪があるが、

例えば、証文などでもそこで使用される判は、

必ず登録をしたものであり、それ以外のものは

認められず、更に厳しい刑罰のものは、

秤や升を勝手に作ることでこれは厳罰に処せられた。

お尻ペンペンではありません。


川村家の馬印

馬に乗る時の旗印

御庭番の川村家も川村が作事下奉行に

就任の時の様子です。

就任に伴い、江戸城の通行証下付願、誓詞願、

昼食支給申請の書類を出します。

昼はご飯だけで菜は有りません。


でも、江戸城の飯は不味いので有名でした。

誰に聞いてもそうです。

特に、下級幕臣である御家人の米は、

古古米で色も茶色でパサパサし、匂いもして

食べられたものではなかったという

御家人の回顧談が有ります。


そして、実印と認め印を別の紙に押したものを

関係部署に提出する。
今の印鑑登録の走りです。

書類などの確認などに使います。

印を確認する仕事はよくあるので、厳密です。

関所手形の確認などはその典型です。


判といえば、やはり「判元改め」を思い出します。

これは、由比正雪の乱などはお家断絶が多く

浪人を多数発生させたことが世の騒乱の元と

なったとして、大名に救いの手を差し伸べたものです。


お家断絶が減るようにと「末期養子制度」を

導入したのです。

これによって、かなりの大名や武家が助けられて

家を継ぐことが可能になりました。


具体的な方法が、「判元改め」という手段です。


これは、後継を決めないままに若くして当主が

死んだ場合に、あたかも当主を生きていることにして、

御役に就いていれば上役、そうでなければ組支配など

の上司を自宅に来て貰います。




江戸時代は、出張の時でも、仮の養子届を

預けておきます。

若し旅先で何かあった場合の保証です。

何も無く帰ってきたら、回収すればよいのです。

それだけ、家の相続という事は、武家社会では

最重要の案件だったのです。


判元改めは、屏風で囲まれた布団には当主が

安置されているが、彼等は屏風の上から

形ばかり覗いて、まだ生きているとばかりに頷く。

そお、阿吽の呼吸です!

この呼吸をさせる力の源は、お分かりですね。

「金」です。


そうすると、すかさず、家の者は養子願の書類を渡し、

受理してもらう。

受け取るのは、勿論、そればかりでは有りません。

必要なものは十分渡す。

こちらの方が重要です。「地獄の沙汰も」です。

そして、後刻、おもむろに当主の死亡を届け出るのです。

そうすれば死後養子にならず処罰を受けません。


これで子々孫々家を保つことが出来るのです。

多少の金など何の事有りましょう。

でも、痛い!


関所手形の話です。

武家の女性が手形の申請をすると非常に煩雑ですが

庶民の女性の場合は、それと比べると簡単です。

それでも大変ですが。


旅に出るには親兄弟の了解が要る

次に家主に申し出て、家主が最初の書面を書く

借金がかさんでるとか、犯罪に関係してなければ

問題は無い・

家主は女性の身元や年齢、旅の目的を記入

町の年寄に提出する。

この時女性も同道し確認を受ける


江戸南町奉行所

次に町年寄は、惣年寄に身元を確認する書面を

提出する。

後日、惣年寄の下に女性とその親兄弟の誰か

付き添い会所に出頭し、惣年寄が本人確認後

奉行所へ提出する書類を作成、それに、5人組、

町年寄が署名捺印する。


それを奉行所へ提出し、奉行所は城の留守居役に

提出し、そこで関所手形が一両日位で作成される。

以前は、女性が留守居宅に取りに行ったが、

町奉行所から女性に渡されるようになった。