湯屋に入ると、土間が有る。ここでは着物を脱いで
一段高くなってる
板の間に上がり、そこにある番台(高座)で金を払う。
番台では、料金の徴収と板の間稼ぎの監視と予防、
そして、小物類である糠袋や歯磨き粉、あかぎれ薬、
膏薬などを売ってるので大忙しである。
脱いだ衣服は、戸棚や駕籠にいれ、或いは、
自分で用意した風呂敷に入れる。
風呂敷は、広辞苑にもあるように、
「風呂に入る時は衣類を包んで置き
湯から上がったら足を風呂敷で拭く」
それが風呂敷であると書いてる。
板の間には注意書きが貼ってある。
男湯には、漢字が多く、女の所にはかな文字である。
これは。一般に女性には学問は要らないという事で
かな文字を教え,男には、漢字を教えたからで、
橋にある高札場で張り出す高札にも
かなが殆どである。
高札場1、火の用心
1、喧嘩口論の禁止
1、貴重品を持ってこない事
1、悪い病気になってる人の入湯禁止などであるが。
最も肝心なのは「火の元大切に相守り申す可き事」
でした。
それに関連して「風烈しき節は、
何時によらず相しまい候事」
台風が近づいてくると、町内に拍子木が鳴り、
警戒警報である。
すると、直ぐ、火を消す。
商売を終わるのです。
今日休業と書かれてるが、裏には明日休業とあり
前日に下げておき、当日裏返すのです。
中には、こうして知らないで来る人もいます。
この女性は、駒下駄をはいてるので、
恐らく玄人の女性でしょう。
男の場合ですと、湯屋の前に小便桶が有って
そこで小便して帰るのが常であったという。
休日は、どうも月1回くらいしかなったようである
ゆっくりと休むことは出来なかったようで、
懸命に金を溜めて、300とも500両とも云われた
湯屋株を買うの夢であったようです。
何処にでも湯屋を作る事は制限されてので、
ただ、幕府に湯銭の値上がりは禁止されていたので
経営は苦しいです。
新しく入った従業員の仕事は、木屑拾いです。
町をうろつきまわって木屑を集め、
燃料代を節約するのです。
この仕事が必要で無くなった時が一度ある。
維新で武家屋敷が売りに出され、あまりに数が多くて
売れ残った屋敷が一杯あり、その処分として
材木が十分に余っていた時ですね。
江戸城の前の大名小路の大名屋敷でさえ
無人になり、或る時は、兎や牛の飼育も
やっていたくらいです。
所が売れないために、兎などは江戸城の堀の辺りに
群れをなしていたといいます。
でも、小便桶というものを知らないでしょうね。
自分の場合、母の実家が山寺でして、
庫裏と云えるほど立派な作りでない家が有り、
外の厠の前に、大きな桶が埋め込まれていて
それが小便桶でした。
恐らく、大勢客が来た時は間に合わないので
男は、それを使用したのではと思います。
別に不思議とも思わず小便してました。
でも、夜は真っ暗ですからよく落ちなかったですね。
しかし、江戸時代は京や金沢でも女性が
立小便をしているシーンが有って、
くるっと裾を捲って始まるとあるので
旅人が驚いてる場面が日記にもよく出てますから、
小便桶などは不思議ではないですね。
滝沢馬琴などは、怒ってましたね。
京の女の立小便