幕末日本を訪れた外国人が驚いたのは、

日本人はお花が好きな事でした。

イタリアの使節は、「花が大好きで江戸近辺の植木屋は冬でも栽培し

花屋は町を売り歩き貧しい人が住み地域でも買い手を見つけることが

出来る」

イギリスの園芸家も「若し花を資する国民性が文化生活の高さを

証明するものであれば、日本の低い階層の人達は、イギリスの

同じ階層の人達と比べても勝れて見える」


スイス領事も又「数多くの庭園や講演がこの江戸を埋め尽くしている。

江戸の人は緑に囲まれた美しい環境にあったのである。


ちなみに江戸っ子の好きな花の番付もあります。

花と木に分けてますが、実は混在してるが、固い事は言わないで。

行司は、芭蕉と鉄刀木(たがやさん)

芭蕉はお馴染みだが、鉄刀木は、熱帯産の木で固くて黒と茶の木目が

美しく細工物使われた。

 鉄刀木(タガヤサン)

Senna siamea Blanco2.426.png


草の代表は、牡丹。

花の王様と云われたのだから最高位が相応しい、ホントは灌木だが

細かいこと言いません。

江戸の名所は、永代寺でした。

浅草寺の別当寺です。明治になって廃仏毀釈で廃寺となった。


関脇は、蓮の花。

場所は不忍池、デートスポット、出合茶屋が建ち並び

不倫の名所でもある。

しかし、その利用料は結構高く金2分くらいですから、金持ちでないと

無理です。

ここには宿泊施設はありません。

屋敷の門限が有るので、時刻を知らせる時の鐘が鳴ると慌てて帰ります。

蓮飯も評判でした。



小結は、芍薬。

立ち姿が何ともいえない女性の事とも云いますね

名所は向島の百花園。


前頭筆頭は、百合の花。

歩く姿が素晴らしい女性です。


次は菊。

菊人形で有名だが、後期になると廃れてしまってるので、この位置です。

名所は、やはり巣鴨や染井。

 白菊で作っている


3枚目は紅花。


次に朝顔。


この花は、ブレークしまして一時は誰もが手にしていました。

何しろ朝の早い時代です。

丁度、好かった人も多かったでしょう。



次は桜草。

荒川沿いの尾久辺りが名所でした。


「江戸名所花暦」の中では、花の頃は、この原、一面の朱に染むが

ごとくにして朝日の水に映ずるが如し」とあるので野生の桜草が

広い河原一面に赤く咲き誇っていたのでしょう。

今では想像も出来ません。


Saitama Tajimagahara Primula Sieboldii Primrose Habitat 2.jpg


さて反対側の木の欄。

第一位は、桜。

これは、予想通りの大関で文句無しでしょう。

江戸では名所も多く、上野の山、隅田の墨堤、飛鳥山、御殿山、

少し遠いが玉川上水の桜。




関脇は、梅の花。

平安時代以前は、花見といえば桜ではなく梅でした。

名所は、当然ながら亀戸と蒲田。




小結は桃の花

名所は、今は飛行機の飛ぶ羽田近辺から川崎の大師河原。

茶飯の有名な店の有る所です。




勝海舟の別荘の話が有ります。

明治初期に川崎にあった勝海舟の別荘に行ったことが

有ったそうで、そこにはお妾さんも居て、とても桃の花が綺麗でした。

この別荘には和宮も行かれて、そこで初めて鉄瓶を見たそうです。

家では恐らく銅壷を使っていたのでしょう。

後日、勝が宮様の屋敷に行くと、「御用にあそばしてるので」

勝は恐れ入ったと云ってました。

鉄瓶というのは、品の良い物ではなかったのでしょう。




前頭筆頭は、楓。

これは、海案寺です。

今は埋め立てられて見る影もないが、当時は海が目の前でしたから

海の青と花の赤が映えて素晴らしかったでしょう。

ここは品川遊郭が近いので、こちらの方が目的ですね。

 高輪


2枚目は、木蓮。

Magnolia liliiflora2.jpg


次は椿、そして、躑躅が続く。

他には、藤や卯の花、山茶花が有る。

藤などは高貴な色として、平安時代から尊重されてきた花です。
椿や躑躅は時代を風靡した花ですが。どうしても流行が有るので

時代が違うと見向きもされません。

 二の丸庭園

江戸時代は、初代家康を始めとして、大変花好きでした。

駿府に大御所として入った家康は、家臣に江戸城のお花畑の

手入れを命じたのである。

未だ、豊臣家を討ったばかりですが、余裕綽々というべきか

花がホントに好きであったのでしょう。

あとは温泉も大好きでした。


このお花畑は、築山や燈籠や石組みなどで構成する日本庭園の

形ではなく、草花を鑑賞する東屋が有り、椿や草花が植えられ

柵を巡らした程度であった。

 江戸城お花畑


家康は、中国から渡来した「ケンラン」と言う蘭を愛し、

駿河城で栽培した事から駿河蘭と云われたほどで、

戦国武将とは思えないものを見せています。


やはり好きであったのは、香木でビャクダンなどのものが渡来してきたが

殆どを家康が手に入れたようです。

秀忠は、妻のお江の方が亡くなると、この時代では珍しく火葬にしました。

この火葬にした意味が分からないのですが、ともあれ、棺の中には

ふんだんに香木入れたそうですから、さぞ、香りが漂ったことでしょう。