大森和中散

東海道を旅する人は、食あたりや暑気あたりに効くという薬を

買い求めていきました。


庶民が家で使ったいわゆる民間療法もありました。

例えば、風邪には梅干しや枇杷の葉、口内炎には茄子のヘタの

黒焼き、黒焼きとは、動植物の蒸焼であらゆる獣を素材とした

黒焼屋もありました。

 黒焼屋

又、薬草も多用しました。

薬草を茹で煎じたもので、枇杷の葉は皮膚病に、

松の葉は長引く風邪に、生姜は風邪や胃腸病に、ゲンノショウコは

下痢止めや胃薬、ドクダミは解毒剤、センブリは胃や目薬にと。

膏薬売り


湿布薬は、神経痛には松の葉、切り傷にはヨモギ。

又、ヨモギの汁は皮膚病にも使われ、大根おろしの汁は

歯痛に用いた。

 枇杷薬湯

又、季節に合わせて「芋は冬にだけ食べなさい。夏野菜である

胡瓜は体を冷やし乾きを止めるなど。

季節に取れたものを食べると良いというものである。


医者に係るとか、薬を買うというのは、もう切迫した状態であり

そうならないように考えていたのである。



 錦袋円

前面に格子があり、まるで牢のようですが、薬屋です


幕府は、薬についていえば寛容でした。

薬は殆どの薬が万能を謳っていました。

大体の薬は許可されて売られていましたが、毒薬や偽薬に

ついては厳しい判断をしました。


毒を呑んでの死もありました。

例えば、不手際が有って切腹をせざるを得ない状況です。

しかし、腹を切るというのは当たり前ですが大変怖いものです。

そこで切腹に代わって服毒するというもので、その代り、

家は存続するのです。


そうした意味で使われたようで、一番目立つのは、やはり、

旗本や御家人などの武士が牢屋敷に収容されて揚り座敷で

取り調べを受けますが、

これ以上、口を開いては困るといった、喋られては困るような

囚人は、上からの意向で毒も盛られての病死というのは

多く、何しろ、毎日のように病死が出るのですから、何ら

珍しい事ではなく、罪名は「存命ならば」と言う判決が

死後言い渡されている。


当時の毒薬というと、ヒ素・斑猫・鴆毒・烏頭・附子でした。

しかし、これら毒薬を使った犯罪は少ない。

これは適用される刑罰が厳しいものであったからであり、

「御定書」では、「毒薬売り候もの引き回しの上獄門」

毒薬を売ったものも同罪なのです。


但し「人命に関わらなかった時は咎めを軽くすること」

「毒を使って人を殺した者獄門、毒を使って相手が死ななかった場合は

遠島」


生薬屋は、客が毒薬を買いに来た時は、厳重に身元を確かめ、

どんな病に使うのかなどを聞き、取扱いに注意した。

更に、「似せ薬売り候もの引き回しの上死罪」

 薬種問屋


これは例が有ります。

大坂で生薬屋が安く水牛の角を買ってきて、薬研で擂り潰し、

名前を付けて鳥犀角と同じ値段で販売した。

鳥犀角とは、黒い犀の角で毒消しに効が有る高級生薬です。


これを買った人は、鳥犀角とは違うと見破り飲まなかった人もいるし、

飲んだ人もいた。

その飲んだ人も薬効が有った人もいた。

薬効は遅いが水牛のも効くのだという。


ちなみに現代では、若干の解熱効果はあるが、解毒効果は全くないそうで

しかし、相変わらずその効能は信じられて密猟が行われているそうです。

 薬売り


しかし、奉行所にて取り調べられ、大坂町奉行は薬種を商

売とするうえでは不埒な所業であるが、似せ薬ではないので、

遠島で宜しいでしょうかと、江戸の老中に御伺を立てた。

それに対して老中は「人命にかかわる品を販売するを生業と

している。

にも拘らず、水牛の粉を薬名を偽って鳥犀角と同様な値段で

売ったのは似せ薬と等しい。

よって「御定書」にあるように引き回しの上死罪であった。


これ以降、尚、毒薬の販売に慎重になったという。


馬鹿と薬は使いようという事が有る。

江戸時代は、毒薬として銘打たなければ、販売可能です。

大体の薬が万能薬として販売されている

 中条流 中絶専門の医者です

避妊薬というのは無く、和紙を中に詰め込んでおけば好いとされていた

時代ですから、当然、妊娠の機会は多いです。

中絶の場合は、中条流に行くか或いは、中絶薬を飲むようになりました。

流産薬が江戸市中で公然と売られてました。

金1分だったようです。2万円くらいですか。

しかし、この子下ろし薬は、母子共に非常に死亡率が高かったようで

多く事件が有ります。


中には、商家の下男下女の事件もあります。

現代では、恋愛は自由ですが江戸時代は、奉公人の恋愛は

御法度で厳しく制限されていました。

主人の使用人として自由を制限されていて、奉公人の自由は有りません。

従って、金が無い下男などは手軽な岡場所に行って処理していた。


中には、下女と下男の恋愛も発生しました。

白木屋や越後屋もそうですが、手代と云われる層は幹部候補生で

伊勢や近江などで現地採用して連れてきて奉公させました。

それに対して下男などは。越後から出稼ぎできている層が普通でした。


手代も恋愛には不自由でしたが、下男はもっと大変で、農家の2,3男の

男であったようです。


この事件は、下男が下女を妊娠させてしまい、それが主人に知られれことを

恐れて、子下ろし薬を買ってきて飲ませたところ亡くなったという事件でした。


これに下された刑は死罪でした。

「この者儀、奉公人の身として朋輩女と密通し、殊に売薬を用い傷産させ

殺し候段、重々不行き届き故、右の者死罪」


江戸時代の判決文には判りやすいものが有ります。

「不行き届き」という言葉は重罪・死罪に当るもので、

軽い罪ですと「不埒ながら」という言葉が出てきます。


以前、テレビで「桃太郎侍」がありました。

ここで最後に、「不埒な悪行三昧」といい悪党を退治するのですが、

不埒ですと罪は軽いのになと思い見ていました。


もう一つ余計な事ですが、江戸時代は、人妻は結婚すると

歯を染める、いわゆるお歯黒をしたが、映画テレビで、そうした

女性というのは見た事ないですね。

染めると落すのが面倒だからでしょうか?


奉公人の身分で主人に断りもなく同僚と関係したことが問題となり。

売薬を用いて流産させ死んでしまったことが不行き届きなのである。

女が死んだのは男の責任であり「殺し候段」という表現になる。

何れにしろこのクラスの男女の恋愛というのは簡単には行かなかった。