川村家の離縁状

熟議の上離縁です。

女性は、若し、三行半と呼ぶ離縁状が無く結婚した時は

重婚罪に問われます。


町方の場合の離婚について
当然ながら三行半が必要になります。

その場合、請求できる場合として次の条件が有ります。

①承諾を得ないで妻の持ち物を質入れした時。

  この為に、婚礼道具を床の間に並べて確認します。

  これは見せびらかすの共に将来の若しやの離婚に備えての事。

②夫が家出して10か月以上行方不明の時。

駈落ちです。

  別に2人で逃げるのが駈落ちではありません

  この場合は、3か月は探さないといけません。

  若しくは探した振りです。

  「御定書」に記載されています。

③妻が縁切寺に逃げ込んで3年を尼でいた時。


 笠森おせんの駈落ち

勿論、本当ではありません。

結婚したのを口惜しがっての事です。


勿論、去り状は、2行でも4行でも差し支えありません。

そうでないと髪を剃り落されて、親元に帰されます。

女にとって髪は命とも云われた時代ですから、

堪えらなかったでしょう。


髪を切って持って行き金に替えられた時代ですから。



「去り状へ 無筆は鎌と椀を書き」

文字を知らない場合は、紙に鎌とお椀の絵を描いただけでも

十分成り立ちます。
「かまわん」です。


こう書いていますと、女性が弱かったのかと思うでしょうが、

とんでも御座いません。


11代家斉の時代、いわゆる化政年間に記されたのをご覧ください。

「今、軽き裏店の者、その日稼ぎの者どもの体を見るに、親は辛き

人生を送るに、娘は化粧し、良き衣類を着て、遊芸又は男狂いをなし

又、夫は未明より草鞋の棒手振りなどの稼業に出るに、妻は

夫の留守を幸いに、近所の女房同志より集い、己が夫を不甲斐ものに

申しなし、互いに身の蕩楽なる事を話し合い、カルタ、めくりなどの

小博奕をなし、或いは若き男を相手に酒を食べ、芝居見物

その他の遊山、物参りなどに同道し、料理茶店、水茶屋などに立入

晩に及んで夫の帰りしとき、終日の労を厭いやらず、かえって水を汲せ

煮炊きを致させ、夫を誑かして使うを手柄とし、女房は主人の如く

夫は下人の如くなり」


夫は可哀想ですね。

女房族は永遠に強いのです。


中には三行半ではなく、10行半に亘る離縁状がある。

「亭主より酒が好きで朝3合、昼3合、寝がけに5合の酒を

吞まないとダメな女房の例。


亭主は困り果て、せめて朝1合、昼1合、寝酒3合にするように云うが、

女房は納得せず、1日1升の酒を吞まないでは生きてる甲斐が無い。

いっそ死にます。と云って川に行くがそこで保護され、これには温厚な

亭主も堪り兼ねて離婚を決心した。


離縁状

「其の方儀、1日1升づつの酒を間に合わず、5合に負けてくれとの

呉れよと談じ候ども相届かず、やむを得ず離別いたし候。

ついては分付として金13円と夜具1通り拝呈候。

何方へ縁付き候共勝手たるべきは勿論一切関係つかまつらず、

よって離縁状1札差入れくだんの如し。」


亭主怒り心頭ですね。

夜具まで付いてるのが面白いですね。

それだけ高価だったのでしょう。


中には、「結婚、十余度、離婚の原因は全て姦通」

叩きつけられた三行半十数通を六曲屏風に貼りつけ

それを眺めて楽しんでいた女もいたといいますから

どちらがよいのでしょうか?

Byobu.jpg

しかし、ところ変われば品替ると云います。

ここは、黒潮が流れる和歌山の熊野の海辺での

陽気で鼻柱の強い漁師の嫁と姑とのやりとり。


姑が嫌味たらしく

「仕事ようして気肌もようて

親に孝行の嫁欲しや」と謳うと


すかさず嫁は、

「嫁に行きたや新宅(分家)様へ

 姑、小姑ないところへ」


他の嫁も

「おれが(わたしの)姑のきぶい(意地悪)のは

 汲んだ水をもゆるりと空けて

 嫁が汲まぬと名(噂)を立てる


隣の若嫁も

「姑婆様の無理な事聞きやれ

 尻にイガグリ挟めといいやる

 尻にイガグリ鋏みもしょが

 雲に梯子をかけろといいやる」


ここで嫁たちはどっと笑い転げるのである。

全く陽気な海辺の光景が有った。