垂髪になっています。
武家であるにも拘らず、公家の象徴でもある垂髪なのです。
この絵はお市の方の七回忌に娘の淀君が描かせたもので、
正式には、淀の方と呼ぶようですが、名称がよく変わります。
大阪城では、御袋様と呼ばれました。
法事の節目であった為か、手には経典を持たせています。
従って、実際に垂髪であったどうかは判りません。
ただ、判るのは垂髪は支配者階級の象徴であったという事です。
お市の方の妹のお犬の方、似てますね。
信長の妹であることは間違いありませんが、浅井家に嫁ぐ前も
長政が亡くなって10年後柴田勝家に嫁ぐ間の事も判りません。
長政とは10年間夫婦で2男3女を産み、
内、女3人茶々(後の淀君)を連れて、信長の元に帰りましたが、
男は長男は信長の命により串刺しになり、
次男は出家させられたといいます。
戦国の習いで男子は根絶やしにするのが通例です。
それを怠って、情に負けて許してやり、後に、滅ぼされたのが
平家一門でした。
家康も豊臣家の男子は殺したが、女・天秀尼は千姫の養女として
鎌倉の東慶寺に送りました。
松岡御所と呼ばれ、尼が登城する際は、大名行列も足を止めて
道を譲ったといいます。
東慶寺は、今の群馬の満徳寺と並んで駆込み寺として知られてる。
当初は、他の尼寺も駆け込みを認めたが、ただ、その後は、
その寺で一生尼として送ることが必要であり、
離縁だけに止まらなかった。
その点、両寺は離縁する事が出来たので、多くの女性が
駆けこんだという。
東慶寺だけでも、江戸時代後半の150年間だけでも2千人を
越える女性が駆け込んだというから、単純に考えれば4千人位は
居たのでしょう。
川村家の離縁状
女性は、若し、三行半と呼ぶ離縁状が無く結婚した時は
重婚罪に問われます。
勿論、去り状は、2行でも4行でも差し支えありません。
髪を剃り落されて、親元に帰されます。
女にとって髪は命とも云われた時代ですから、
堪えらなかったでしょう。
「去り状へ 無筆は鎌と椀を書き」
文字を知らない場合は、紙に鎌とお椀の絵を描いただけでも
十分成り立ちます。
寺の門限は、朝の6時から夕の6時である。
中には追手を懸けられた場合もあるであろうが、その際は、
身に付けているものを何でも門内に投げ込めば
駆け込みは認められた。
草鞋を投げています
そして、次に寺内で事情聴取が行われる。
ここでは理由の如何に問わず、駆け込みを認めたようである。
次に、寺にある役人の詰所から御用便で関係者へ
呼出状が送られる。
これは強制力を持つものであるから、出頭します。
そして、門前にあった3軒の御用宿(柏屋・仙台屋・松本屋)に
其々別にして宿泊させられる。
御用宿の亭主が、ここで調停を試みるのです。
現代の家裁の調停人の役割です。
これは推測ですが、これ等の宿の亭主は、
街道の本陣宿と同じで名字帯刀を許されていたのでは
ないでしょうか?
或いは玄関を造っても良いとかの何らかの特権を
持っていたのでしょう。
そうでないと、ここまで介入できないのではと思います。
単純に別れたくない事もあるでしょうし、
色々な事由が有った事でしょう。
持参金なども揉めた筈です。
持参金は、離縁に際して、妻に落ち度が無い場合は、
返却しなければなりません。
武家も商家も、家運を盛りたて要する計算づくのものが多く、
上手く建て直さればいいですが、武運つたなく敢無くという
場合も多く有ります。
そうした、金を使い込んでしまってる場合は、返したくとも返せません。
そうした場合の返済予定なども話し合いが必要です。
武士の場合も、多く離縁の話がありますが、その際は、
仲人を間に立てての話が多かったですね。
月々の返済が多かったですね。
額は、10両くらいなのですが、小身の武士にとっては、
大変な負担です。
仲人にも仲人料を1割払ってますので、
その分も返済しなくてはなりませんからね。
[去る時は 90両では すまぬなり」
川柳では、持参金は100両と相場が決まってます。
和解が成立すると、2軒の御用宿の亭主が
連帯保証人になって証文を作成する。
中には、子供がいた場合の養育料や妻への慰謝料など
諸々が明記され、もし違背が有った場合は、
保証人が何処にでも行って取り扱う旨が明記され、
そこに署名捺印する。
但し、この場合は、東慶寺の寺法による離縁にはならず、
女も寺で2年間の勤めをしないでよい。
若し、和解が成立しない時のことである。
今度は御用宿の亭主が、女達が寺で2年間の勤めを
するに際して、保証人となる。
その際は、女は寺へ入る為にお金が必要になる。
一定額の冥加金・扶持金である。
御用宿は、女が勤めの間の金銭の届けや家族の面会、
病気の時の宿下がりの世話を御用宿が引き受ける。
面会は、8歳以上の男子の場合は煩い許可が必要でした。
大奥と同じですね。
寺の勤めの内容は、
有髪の尼であり、毎日読経する。
一番肝心な事は、冥加金の額に依り、待遇が違うのである。
いわゆる、松・竹・梅の3つのコースがあります。
一番上は上臈衆です。
勤めは、仏殿の御供え、住持の身の回りの世話、来客の世話。
次に、御茶の間
仏殿の掃除、食事の世話、来客の給仕。
一番下の御半下。
飯炊き、水汲み、洗濯、草取りなどの雑用。
地獄の沙汰も金次第なのです。
そして、厳しい精進生活に耐えかねて、脱走を図った場合は、
厳しい処置が待っている。
寺法により、素裸にされ、丸坊主で門外へ追い出される。
仮に脱走が成功しても、人別から除外されるので無宿人
となっていくのです。
「出雲にて結び、鎌倉にてほどき」





