坂本屋から販売された白粉です。
仙女とは、路考で知られた歌舞伎俳優の瀬川菊之丞の
俳号である。
又、以前も紹介しましたが、菊之丞の付け人であった
大久保今助がいます。
「鰻丼の父」です。
芝居を見る時に温かい鰻を食べたいと思った今助は、工夫し、
鰻丼を自分の芝居小屋から売り始め、大変好評であった為、
江戸中に広まり、鰻丼を広めた人でもある。
後には、御三家の一つである水戸藩で要職に就いたという。
しかし、現代では、歌舞伎を見ながら弁当など食べたら顰蹙を買う
かも知れませんが、当時は、相当、五月蠅い状況で芝居をした。
観客は飲み食い喋るところで、しかもマイクなど有りません。
従って、よく通る大きな声とかなりの演技力が必要とされたでしょう。
路考茶 大変流行した色でした
様々な機会を捉えてさりげなく登場するので有名でした。
「仙女香」という文字の多くは、鳥居や関札などの
目立たない部分に書き込まれていた。
「仙女香 十包ねだる 馬鹿娘」
1袋48文です。
10袋ですと480文、長屋の一か月の家賃分です。
「白牡丹 塗っては目立つ 獅子が鼻」
江戸で白粉というと「白牡丹」
戯作者の山東京伝は、煙草入れや煙管の店も経営したが、
白牡丹(月宮美人香)という白粉も発売し、価格は1包126文。
この白粉は、「色の白くなる薬」「薬白粉」と呼ばれ、
顔の下地に塗って
その上に普通の白粉を塗ると、奇麗に仕上がったという。
「北国の阿弥陀も塗った白牡丹」
吉原の上級遊女も使った。
女性は月に1,2回であったようです。
御殿女中ですと「髪を洗う事稀なり」という状況であった。
従って、匂い消しの為に伽羅や麝香の香りのする油を使った。
御台所御髪上げ
垂髪の御台所の髪をいじってるのは、髪型が片はずし、なので
高級女中である。
入浴後の事でしょう。
朝ですと、寝たままで髪を梳いたと、大岡ませ子は述べてました。
髪結いが髪を結う場合、大量の油を使って髪を固めるため、
また、日常も髪油(胡麻・胡桃・丁子・椿等)を多く使ったので、
取るために、豆粉、米糠、椿の絞りかす、フノリ、うどん粉、
卵の白身、灰汁、粘土、白土等の混合粉を用いた。
その油を落すだけでも半日、そして、洗って乾かせるのに半日
ですから1日かかってしまったようで、現代では考えられない
苦労を強いられたようです。
従って、湯屋などに行ってもゆっくり髪を洗うというのは、
無理なので必然的に、自宅で髪を洗うようになったのでしょう。
江戸時代は、不思議な事に石鹸・シャボンが
全く普及されていなかった。
輸入自体が、全く少なかったようです。
石鹸自体は歴史が古く、慶長12年(1612)に
正倉院の調査をした時、その時の記録に
「長持一つ、内シャボン1」とある。
従って、奈良時代には、入って来ていたのでしょう。
桃山時代、石田三成が病気見舞いとして、博多の商人から、
見舞としてシャボンを贈られ、その礼状に
「しゃぼん二」として記録があり、
それだけ、当時でも貴重品であったのでしょう。
「シャボン」は、語源がはっきりしないが、幕末には、薬用として
大いに利用され、明治になっても公の所でも、
特に、黄疸、結石、腹痛、痛風にまで薬効を
示すという見解が流されたほどです。?
咸臨丸
以前にも紹介しましたが、福沢諭吉が咸臨丸で提督の従僕として
渡米しました。
その時、お土産として、交流のあった御殿医の桂川家に
しゃぼんを持って来ました。
その時の様子を、娘のみねは、「女中たちは、匂いが良いのと、
異人の様に色が白くなると思うので、一生懸命白粉の上から
塗り付けていて、それを思い出すと噴出さずにいられません」
と述懐していました。
それくらい、珍しいものであったのです。
石鹸が糠袋に代り、庶民の間に普及したのは明治20年代でした。
山東京伝の本では天明7年(1787)、遊女が
「けふは26日だね。うれしおす。あしたは髪洗ひ日でおすよ」
とあり、毎月26日が髪を洗う日であることが判る。
山東京伝といえば、草紙で夜鷹を描いた際に、敢て、
挿絵に、そのまま、めっかちや鼻の欠けた夜鷹を
描いたために、夜鷹達の怒りを買い,京伝が
襲われたという有名な事件が有ります。
東海道吉田宿 北斎
江戸では、本所吉田町が歌にも謳われたくらいで有名だが、
他には両国橋、永代橋、御厩橋などの川岸が多かった。
吉田といえば、
「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖で」
この歌が有名です。
これは、豊臣秀頼死後、戻ってきた千姫が吉田に
御殿を建てて若侍などを招き、乱行をしたという
異聞によりますが、実際は、そういう事は無くて。
東海道・吉田宿は飯盛女で有名ですが、
それと混同されているようです。
大体、鹿の子は、元禄の頃ですから、時代も違います。
しかも、振袖は未だありません。
筒袖だけではないと思いますが、小袖くらいになっているかも
知れませんが、やはり時代が違います。
夜鷹たちには、用心棒を兼ねた妓夫が付いていて、
客の呼び込みや、或いは、ひやかしの客が来ると、
追い払うのだという。
鼻が欠けたという事は、梅毒ということです。
絵ですと、奇麗な女を描いているが、実際は、40歳以上であり、
病気を持ってる為に、顔に膏薬を貼ったり、毛を染めたりし、
白粉を塗りたくって、顔の皺を埋め込んだ女ばかりであった。
虎ノ門外・あおひ坂
この写真は、上の写真と同じで左の坂が葵坂です。
でも、写真と比べて絵になると、色彩豊かであり、
真ん中の水が落ちている所が有ります。
ここは、城の堀の余り水が落ちる所で、水が落ちる大きな音が
しました。
その名を取って(赤坂のどんどん」と呼ばれ有名でした。
淀の鯉や琵琶湖の鮒も放たれて、蓮の花が沢山ありました。
淀の鯉というと、淀城の水車下で取れる鯉が特等とされて、
大変評判がよく、茶屋が建ち並びました。
季節になると、蓮の花が咲き、蓮飯が美味しかったという。
江戸の名所として有名でした。
赤坂溜池 初期の江戸の生活水を取りました。
白粉三段重ね
1段目と2段目に、それぞれ白粉と水を入れて、
カラス瓜の根を加工して作った白粉で、汗疹や痣を治すもの
として使われたが、これは塗るのではなく、摺り込むのである。
その効能は「たとえ顔の肉、皮膚の肉落ち、色青み、
痩せ衰えたるとも、忽ちわかやかにする妙々奇々の法なり」
素晴らしい薬ですね。
次は舞台香。
白粉としては最も安いものである。
芝居の役者が顔を真っ白に塗り潰すためのもである。
張見世にでる吉原の遊女がよく使ったという。
「6つ7つ年を塗り込む 舞台香」
下の値段表でも判る様に、一番安いです。
これもやはり、紅で有名な下村山城屋でも扱っていた。
玉屋の値段俵では、
松金香御薬油 壱本 100文
洗髪御くすり油 匂入4両形 36文
本唐御白粉 48文
松の友白粉 36文
舞台香白粉 24文。














