顔を美しく見えるようにすること。
つくり。けそう。
化粧道具は嫁入り道具には欠かせないものでした。
将軍の娘も勿論、庶民の娘もそれぞれ化粧道具を持参したのです。
3代家光の娘が尾張家に嫁入した時に持参した調度品は、
初音の調度と云い、今は、国宝にされています。
初音の調度
又、或いは11代家斉の娘・溶姫は加賀藩前田家に嫁入して
御守殿と呼ばれ、前田家は、姫を迎える為に、巨額の費用を掛け
屋敷を作り、今も残る東大の赤門が有ります。
そして、溶姫が持参した化粧道具も残っている。
眉作り箱
「恋の手習ついに見習ひて、誰に見しょとて紅鉄漿付うぞ、
みんな主への心中立て」
長唄の「亰鹿子娘道成寺」にある台詞です。
誰かに見せる為に紅や白粉をつけるのではなく、
皆愛しい貴方にだけ見せる真心を示す為ですよ。
切々と訴える女心の心情が表現されています。
女性はどのように化粧をしたのでしょうか。
江戸時代の化粧は、3色(白・黒・赤)で行われた。
白とは白粉、黒とは鉄漿、眉化粧、赤は口紅・頬紅であり、
これら3色を使っての化粧法である。
[女中化粧録」には「化粧の事。女第一の事である。
人目を思い昼ばかりで夜行なう事は貞女の道に外れる。
源氏物語の空蝉の巻にも夜女のすげないものは恐ろしい物とある。
嗜むべきである。
下々のように厚化粧する事は見苦しい。
先に地顔をよく拭いて兵部卿を少し塗り、そして白粉を眉掃きで
薄々と化粧の上を押し拭えば桜色に見えて美しいものである。
年頃によっては色白粉も良い。」
色白粉とは紅粉白粉の事で、白粉に紅粉を混ぜて練った物。
兵部卿とは、薄赤い白粉、亰で作られていた。
紅粉
先ず化粧水。
「化粧水 せめてのことに へちまかな」へちま
へちまは、ウリ科の一年草で、果実は円柱で、果肉内に繊維組織が
網目状になっており、是を取って汗除け・垢すり・
鍋の掃除用に使った。
又、茎から取った水は、化粧水や咳止めに用いられた。
正岡子規が死期近くに作った歌がある。
「痰一斗 へちまの水も 間に合わず」
咳止めにも使われていたようです。
漢字で書くと「糸瓜」
漢方薬の本「本草綱目啓蒙」には「へちまの水は茎の本地より
12尺に切瓶中に挿み入れ置くは、多く水出甚だ清白なり。
俗に美人水と呼ぶ」
一晩でかなりの量が取れるという。
庶民にとっては、身近な化粧品でした。
そして、一番良い糸瓜水は15夜に取るが良いとされていた。
「十五夜に女中ねっきり虫になり」
顔の色艶を良くすると信じられていたのです。
そして、更に「化粧水 とった抜殻 足袋にいれ」
足袋の底に入れてクッションに利用したのです。
又、「へちまたわし」もあります。
菊の綿
9月9日重陽の節句に行われたもので「菊の着せ綿」があった。
これは、前夜に菊の花に真綿を被せて霜除けし、菊の香りと
露を綿に移す。
そして、翌日、その綿で体や顔を拭くと、
老いが去り長寿できるとされた。
重陽の節句が近づくと、菊の花に被せる真綿を
行商が売りに来たという。
又、菊の露を飲むと長命という言い伝えもあり、縁起物でした。
刻み煙草にも入れたようです。
菊の花を陰干しにして細かく刻んで入れる。
重陽の節句の日、女性たちは綿を手にして、どんな思いで綿を
手に持ったのでしょうか?
「化粧水 下女も糸瓜な顔に塗り」
又重陽の節句には、当時、民間でも菊花展が開かれて、大勢の
人を集めて好評でしたが、江戸城や大名の奥でも、菊比べと云い、
「菊合」が行われた。
花一輪の場合と、鉢植えの場合とがあり、それぞれ丹精込めて
作られた菊を持ちより、比べた。
優勝者には豪華な賞品が出たが、奥女中にとっては、賞品ではなく
名誉を掛けてのものであり、見栄に彩られた菊花展でした。
勿論、誰もが参加できるのではなく、財力のある高級女中のみが
参加できる。
元禄年間には、江戸で「花の露」を販売している店として、4店を
紹介している。
特に、神明門前の林喜左衛門は、江戸の化粧品店の草分けである。
「都風俗化粧伝」では、花の露を紹介している。
「化粧して後、刷毛にて少し顔に塗れば、光沢をだし、
匂いをよくし、肌理を細かにし、顔の出来物を癒す」
そしてその製法として、「茨(バラ科の花)から作る。
そして、茨は色白く、4,5月の間に花咲く也」
作り方は、「蘭引」に入れる。中に湯を入れて沸し、花を入れ
その湯気、上の器に溜り、露出るを茶碗に受けて取るなり。
露を除け、丁子・片脳・白檀を入れて用ゆるなり」
混ぜれば完成です。
「守貞漫稿」にも「花の露、又、菊の露、江戸の水などと名を変えて
是を売る。家によりて名を異にするのみ也。
御殿女中にては是を用ゆる者往々これあり。」
色々とあるが中身は同じで名が違うだけという。
嘉永年間には江戸の化粧文化が花開いて、色々と化粧品が
開発され販売されている。
文の中にある「菊の露」とは、古代中国の周の王に愛された男が
或る時、王の枕を跨いだという罪で、流刑になる。
しかし、王から頂いた妙文を菊の葉に写して流し、
その水を飲んだところ700歳まで生きたという。
その事から、菊には長命をもたらすという習俗が出来たという。
ただ、「菊の露」も「花の露」と同じで、化粧した後に、その上に
塗るものである。
娘が白粉と紅で飾り、その上に塗って肌の艶を輝かせるのである。
「若々と 紅白粉も 菊の露」
次に「江戸の水」
御存じ、式亭三馬が経営する店で開発販売し大ヒットした商品である。
「白粉の剥げぬ薬 江戸の水」として販売した。
値段は、箱入りで48文。
そして、箱は安く造って6文、併せて12文なので薬の値段は36文。
しかし、製法が不明である。
前述の「守貞漫稿」に記された「名は異なるが同じ」という事から
考えると、糸瓜水に香料などを入れたものと考えられる。
しかし、その後効能書きを変更するのです。
「白粉のはげ薬と書きたりしを、この度改めて、
白粉のよくのる薬とす。」
販売開始後3か月でどうして変えたかは不明である。
そして宣伝文句で「ニキビの大妙薬、ひびしもやけ、御顔の出来物、
一切に良し。
肌理を細かくして、艶を出す。
暑気にもこの白粉はよくのりて剥げず、色を白くするに、
この水他にたぐひなし」
化粧品としてでなく薬として売っているのです。
何にでもよく利きそうな宣伝文句です。
以前触れましたが、幕府は毒薬以外は、効有りとしていれば、
取り締まることはありませんでした。
従って、いかがわしい薬も当然沢山有ります。









