猿若町よるの景   広重
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芝居 というと歌舞伎や浄瑠璃を云います。

家康が江戸入府し、その頃、出雲阿国がかぶき踊りを興行、

是が歌舞伎の始まりとされる。

一方、浄瑠璃は英雄伝説や神仏の奇跡を伝える芸である。

それに三味線を加味し、更に人形を取り入れて人形芝居の形になった。

今の文楽です。

日本橋・堺・葺屋町に芝居小屋が造られました。

 堺・葺屋町顔見世
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中村座・市村座・山村座・森田座が出来、歌舞伎の全盛を迎える。

17世紀後半、元禄年間には、荒事を得意とする市川団十郎が出て、

上方でも坂田藤十郎、芳沢あやめなどの和事が発達する。

荒事とは、荒々しい立ち回りである。

以降、歌舞伎ではその立ち回りが魅力の一つとなった。

反対に和事とは、柔らかな身のこなしと台詞である。

濡れ場を中心にし、柔弱な男の行動を表現し、得意とする役者を和事師、

変じて、色事師となった。


女形で有名なのは、2代目・瀬川菊之丞です。

舞台で着ていた茶色の衣裳の色から「路考茶」の名で流行色となり、

更に、帯の結び、櫛、髷なども路考の名でよく知られていた。

之翫茶 団十郎茶  梅幸茶   路考茶

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この他にも、俳優の名を取った茶色があり、「梅幸茶」「之翫茶」などもあり、

更に、「鼠色」はもっと複雑であり。

四十八茶百鼠」というくらい種類が多い。

例を挙げると、千草、納戸、浅葱、藍、藤、葡萄など、我々には区別もつかない

色があったという。

しかし、一人前の染物屋さんは名前を云えば、きちんと染めてくれたという。

何という、技量の高さ、今では、どうなのでしょうか?

出来ないのでしょうね。

 2代目瀬川菊之丞
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しかし、正徳年間に絵島・生島事件の責任を取らされて山村座が廃業になり

3座になり明治まで続いた。


「遠山の金さん」こと、遠山金四郎の逸話があります。

天保の改革で芝居などは贅沢とし廃止しようとした老中・水野忠邦の政策に

逆らって、芝居小屋の存続を図り、是に感謝した歌舞伎界は、

遠山を持ちあげてヒーローにしたというのですが、

本当でしょうか?


ついでに、有名な遠山桜といわれる彫物ですが、諸説紛々としていて

判りません。

背中に桜という説もあるし、いや、肩に女の生首だという説、何も彫ってないとか

有りますが、本当はどうであったのでしょうか?

 芝居大繁盛図
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人気役者に対する庶民の憧れは強く、上演された踊りや伴奏の長唄・

常盤津・清元などを教える町の稽古所は増え、しいては女性の職を

作る事になった。

 稽古所

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或いは、髪型や帯の結び方や衣裳も流行をもたらし、市松模様や

弁慶格子、或いは、助六が頭に締めた鉢巻の色である江戸紫などの

色の流行を生み出した。

初代・沢村宗十郎が被った宗十郎頭巾も有ります。

 助六 鉢巻の色が江戸紫
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 色々な柄
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  弁慶柄
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  井桁柄
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余談です。

落語も歌舞伎の影響が強いそうです。

色々ありますが、例えば、上手(かみて)、下手(しもて)です。

花道を下手とみます。

花道から来る人に向って、上手にあたる噺家は、「おーい、熊さんや」と、

呼んで顔を右に向けます。

そして、勿論、花道から来るわけですから、来た人は上手(右)に向けて

話しかけます。「先生。こんちわ」

此の辺、きちんとした噺家は区別して演じています。

物を置く場面でも。同じ場所に置いたり、或いは同じ高さに置きます。

この辺が、上手い噺家とそうでない噺家は歴然と違いを見せつけます。


  寒いので火鉢が傍にあり、座布団が有りません。

というより、座布団は何処も使っていないですね。

前に、浅野の殿様の話を伝えましたが、あれは明治以降であり、

料亭などの影響としていました


ついでに、よく映画テレビでは、殿様が座っていて脇息が脇にあり

寄り掛かっていますが、あれも絶対無いそうで、個室で使うものだそうです。。
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