川村38歳。
元日、登城し大広間で「御流」頂戴している。
現代でも生きている慣習です。
主君が盃に飲み残した酒を吞み干し、吞むことで、忠誠と服従を示した。
田安・一橋家へも挨拶に行き年始のお礼をし、御用人に挨拶。
田安・一橋・清水といえば御三卿です。
何故か、挨拶回りの中に清水家の名が有りません。
もしかしたら、清水家には、この当時御庭番家筋からの派遣社員が
居なかったからでなのでしょうか?
御三卿の家臣は幕臣から御付衆として派遣されていました。
田安家には御庭番家筋が派遣されていました。
後に、川村家とは深い縁がある家になります。
清水家は、家老初め用人、番頭などの重職は幕府と清水家から
役料が支給されている。
天明6年(1786)の武鑑に掲載された役人の内、重職22名のうち
20名が派遣された幕臣である。
特に家老は、町奉行や勘定奉行の上席でもある諸太夫であり、
幕府と清水家の両方から千両ずつ支給されている。
御庭番からも、御三卿の家臣として派遣されているので、
その関係から挨拶に伺っているのでしょう。
尚、幕末の話になりますが、和宮が京から降嫁した際、1ヶ月くらい
清水家奥で生活していたようで、そこから、江戸城大奥まで
牛車で通っていたそうです。
これは、「万事、京と同じように」という約束であったからです。
しかし、70人お供を連れていましたが、大奥は400人を超える
女中が待っていた訳ですから、敵地に向う心境だったのでしょうか?
そして、川村は武術も見せてくれます。
1月11日に将軍の御前で行われる大的御覧の選手に選ばれました。
当日、健闘します。が、雨の為に中止になったようです。
その後、健闘を慰労され銀1枚と白牛酪を頂戴。
(Goo辞書には。バターとある。)
大奥で働いてる人や、両丸(本丸・西丸)で働いてる人も一緒に
貰ったのであるから、相当の量を作ったのでしょう。
しかし、この当時、江戸城での放牧の記録は無い。
日本へ牛酪が渡来したのは飛鳥時代(645)、呉の人が伝えたという。
バターを湿酪、チーズを乾酪と呼んだ。
やがて迷信により、牛の乳を飲むと、角が生えてくると忌避するようになった。
外桜田門
3月引越し
今まで武家地に住んでいたが、外桜田の御用屋敷に空きが出来たので
入居したい旨の申請書を提出。
その後、許可が有り、御長屋へ引越しである。
2階建てで敷地面積177坪、用人部屋や女中部屋も有る大きな家である。
5月
川村家には何の関係も有りませんが、この頃、品川に大嵐の為に
大きな鯨が流れ着きました。
「品川の沖にとまりし セミクジラみなみんみんと飛んで来るなり」
「みんみん」と「見ん見ん」をかけている。
「享保の象」・「文政のラクダ」と並ぶ江戸三大騒動の一つです。
迷い込んだ鯨を漁師たちは追い回し天王洲へ追い込んだ。
江戸中は大騒ぎ、一目見ようと舟代24文だったのが100文になったが
それでも乗船したという。
11代家斉も芝の御殿沖まで鯨をひっぱてこさせて見物している。
今の浜離宮です。
結局「寛政のクジラ」は、見物の後、41両3分で売却され、
鯨油を絞り骨は土中に埋めた。
今も「鯨塚」として記念碑がある。
実は江戸時代、しばしば鯨は江戸湾に迷い込んでいる。
記録によれば、文化10年(1815)~明治3年(1870)までの55年間に
504頭が捕獲されている。
ですから、江戸で鯨肉に舌鼓を打った人は多かったでしょう。
品川くじら図
6月16日
嘉祥の日 金団を戴く。
年間勤務実績の自己申告書提出
9月14日から翌6月15日まで分。
その内、5日間、寒熱の為に欠勤。
その他懈怠の日無し。
7月9日
初めて、時服(浅黄白御紋)と白晒1疋頂戴。
10月9日玄猪の日
青餅1個、白菊1輪頂戴。
年末、昨年から本丸と西丸からお金を頂戴できるようになっていた。
本丸から10両。
西丸から5両。
他に3両、それと相役が病気の間頑張っていたことを賞され
縮緬1反頂戴。
こうして、度々頻繁に時服やお召卸、縮緬、羽二重などが
大勢の女中や旗本が頂戴しています。
成程、之では、呉服屋さんが大儲けをするのが当たりまえでしょう。
値引きも何も無い状態ですから、ぼろ儲けですね。
田舎から出てきた藩士が浅黄裏と江戸っ子に馬鹿にされていた反面、
旗本はこうして立派な服を貰っていたのです。
幕府の財政は傾くのは当然でしょう。
組屋敷について
御家人が住んだ町で今も残っているのは上野御徒町が知られている。
総門と呼ばれる木戸を通らないと中へ入れないものが有った。
道路や隣家との境は板垣や生垣で設けられ、門は長屋門みたいではなく
冠木門である。
「御徒物語」によると、
「北に2個の総門を設け、門を入ると3間幅の道路(5,4m)があり
左右に家がある。
敷地は120坪くらい、そこに自費で家屋を建築居住した。
間取りは、玄関が3畳、次に8畳と6畳、其れに台所と雪隠である。
土蔵などは、組屋敷でも2,3軒持っていればいい方である。
建坪は、20から30坪、空地は畑にして野菜を作る。
余分の土地は貸して時代を生活の足しにする。」








