御台所は1日に3回、正月は1日に5回お召し替えである。


  お召し替え

御客会釈(あしらい)が衣裳を整えている。

後ろの稚児髷の女中は香合を運んでいる。

衣裳や部屋に香を焚いているのでしょう。
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10時に将軍が大奥へ来て行う「惣触」の為に着るのが正式な着物で、

縫い取りの豪華なものである。

是は毎日違うものを着る。


10時前になると御錠口に近い御鈴廊下で将軍を待ち、将軍の御成りで

御年寄、御中臈など10数名の幹部(御目見え以上)で並びご挨拶。

そして御台所が将軍に「ごきげんよう」とあいさつをする。

その後、将軍は御台所と仏間にて歴代将軍の位牌に礼拝。

大体11時くらいまでかかる。

  御中臈
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将軍が中奥に戻ると、御台所は又、着替えである。

今度はゆったりとした着物にする。

中には、吉宗の子・家重の様に帰らない将軍もいたようですが。


昼飯である。(失礼しました!お食事です)

その前に、医者の診察がある。

御年寄が立ち会います。

月に5,6度とある。

2人の奥医師で一人は主治医で一人は立会です。

それと何だか判らないが坊主が5,6人来る。

左右から脈を伺い、舌を見るだけである。

脈は袱紗の上から行う。若し、腹診をする場合は、襦袢の上からである。

決して直接触れてはいけないのである。


和宮付きの医師で、京から下った医師は総髪帯刀で、

芝居で観る金ピカ上下其の儘を着ているのが目立った。

医者でなくてもそんなの着ている人はいなかった。

江戸の医師は皆坊主ですから、上下を着ていません。


禁裏から多分官位を貰っていたのでしょう。

しかし、この事は別の本でも記されていたので、相当、話題に

なっていた事であったのでしょう。


便所は常に若草という練香が焚かれていて、朝1つ入れておけば

夕方まで絶えません。

天璋院は、お月事の時はお付を便所へ入れませんでいたが、

諸侯へ入輿された御守殿様は、いつも便所の中へお付がいました。

本寿院様は、便所の中へお供を入れなかったと云います。

(本寿院とは、13代家定の生母で旗本の娘である。)

以前紹介しました本寿院は尾張藩主の生母です。お間違いの無いように。

ですから、日常便所へお供を入れない習慣の人にとっては、

考えられないことであったのでしょう。

 赤門
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御守殿というと現代では今の東大の赤門を思い起こします。

あれは、文政9年(1826)加賀藩前田斉㤗の許に11代将軍家斉の

34子の溶姫が嫁入して建てられたものである。

しかし、これも溶姫の入輿(じゅよ)29年目に斉㤗が中納言に

なったからである。

厳しい資格があるのです。


続く