江戸勤務手当ては年間39両、1両10万円として現代だと年収390万円、
支出が27両だから270万円、差し引き120万円の節約。
その他、米の現物支給がある。
(さすが紀州藩です。他藩では、あまり見られないのでは)
玉鮓 江戸の名店ガイド「江戸買物独案内」にも載っている。
屋台で売っていた鮨を初めて店を構えて販売した店。
幟の色が藍の色です。食べ物屋の幟は藍色でした。判り易いです。
鮨種で人気なのは、白魚、こはだ、あわび、卵焼きです。
あとは、鱚です。
御城で将軍が喜と書くので縁起が良いとよく食べていたので、
江戸っ子もそれを真似て食べました。
「すし」という字は、鮓・鮨・寿司がある。
鮓は、米飯を発酵させて魚を漬けたもの。
鮨は、飯に酢を混ぜた鮨飯に魚を乗せて熊笹で巻き、軽く重石を
して押したもの。
寿司は、笹巻鮨を参考にして、文政年間に出来たと云われる。
話は戻ります。
但し、幕末は諸物価の値上がりが激しく、例えば、二八蕎麦なども
16文から万延元年(1860)24文へと値上がりしている位ですから、
家計に大変負担がかかっていたことでしょう。
もともと、2*8=16で、二八蕎麦と呼んでいたので、呼び名は
変わらなかったのでしょうか?
天麩羅の屋台 串に刺してある天麩羅を立ち食いです。
指についた油を橋の擬宝珠にこすり付けるのです。
「天麩羅の指を擬宝珠(ぎぼし)にひんなすり」
又、別の川柳も有ります。
「小平次を竹鑓(たけやり)で突く天麩羅屋」
小平次とは、魚のコハダの名前で、竹槍とは置いてある竹串である。
江戸湾が控えていたので、新鮮で安い魚が上がります。
この当時の江戸の食べ物の値段です。(文政・文化1804~1830)
握り寿司1ケ 8文、 蕎麦・饂飩 16文、 西瓜1個 38文、
酒1升 250文、髪結い28文、 風呂屋8文。
鰻蒲焼き 味醂を使うようになり、香りもよく今と同じように匂いで
髪結いは、最初に登場したのは家康の入府からで、当初は高札場に
届け許可を貰っていた。
その後、幕府は万治2年(1659)鑑札を発行し,一町一床とし、
享保年間(1720頃)には江戸市中に千以上の髪結い床があった。
髪結い床は橋の袂にあるのが多かった。
理由は橋を見張る事と出火の際に役所へ駆けつける事が責任となって
いたためである。
他に、情報を集めて報告の義務も有りました。
奉行所の手先です。
その為に、道に向って客を座らせていた。
この他には、鬢盥という道具を持って客の間を廻る廻り髪結いという
仕事も有った。
料金28文は一梳きの値段であるから、4,5日に1回梳くとなると
月に150文以上は掛かることになる。
女廻り髪結い
頼んだことから次第に女髪結いが出現するようになったが、
容易に幕府は是を認めなかった。
髪結い床の株は、売買され高額であった。
700~800両くらいで取引され、人気があったという。
続く





