祝日子供・成之の誕生

出産の時に元気を作る意味なのか当時高価であった白砂糖を

買って舐めている。

高価な婚礼衣装まで売られてしまったが、元気を付け

させたのでしょう。

しかし、その砂糖を入れた袋が現代まで残っているとは

流石に想像もつかなかったでしょう。

ちなみに砂糖の値段は1匁、4000円でした。高いですね。

ですから和菓子など容易には口には入らなかったでしょう。

  帯祝い

Iwataobi.JPG


そして出産費用として、

男の子だったので嬉しかったのか産婆に15匁6万円、医者に13匁

5万2千円、針立に5匁2万円払っているのである。


武家の場合は、子供の行事は妊娠の時から始まるのである。

着帯    妊婦に腹帯を巻く。妊娠5か月目の戌の日。銀3匁。

出生    初産は実家で、それ以降は婚家で出産。銀・33匁13万円。

      天皇の場合は、里に帰って出産、将軍・大名は奥で出産。

三つ目  誕生三日目の祝宴。簡単に済ませた。   

七夜   誕生7日目の祝宴。

      親族が揃ったので少し豪華に、小さい鯛を出した。

      料理はクルミやレンコンやクワイ。

  江戸時代の出産の様子 (江戸東京博物館)

P9050875.jpg

江戸時代の出産は、一般には座産で、産婦は天井から吊り下げた綱や

介添え人を支えにして子供を産んだ。
生まれた子には産湯を浸かわせるが、このとき産婆はタライの前に

腰を掛け、赤児をうつ伏せにして両脚にのせ淋浴させた。

これは臍の緒の切り口に湯がかかるのを防ぐ為と背中は五臓を宿す

大切なところであるため眼をはなしてはいけないという

中国の説によるためだという。
一方、産婦の方も、頭に血がのぼらないように等との俗説から、

産後も産椅や積み上げた布団に寄りかかり、
座ったまま七日七夜を過ごさなければならなかった。

そのために健康をそこねることも少なくなかった。

大変ですね。


江戸時代、徳川家では、「お七夜」を命名の儀として、
大名から祝い品を受けるなどと公式行事としたためその行事が

庶民にも広まったといっています。

大体、町の行事はお城の行事から始まっているようです。


合計で着帯から御七夜まで108匁、さらに産着50匁。

計159匁。7万円くらい。

しかし、この内、出産費用の半分と、産着代、御祝い金30匁を

妻の実家が払っている。

この当時、嫁入した娘と実家の結び付きは固く、猪山家でも嫁入した娘の

場合同じようにしている。

墓などを見ると判るが、碑に何々の妻ということで氏名の妻の下に

「何々氏」と実家の名が入るのである。


初参詣  

結局、着帯から御七夜まで、産着を入れてであるが、合計158匁

掛かった計算になる。65万円くらいですか。

そして、これからの行事。

七五三の元であるものがあります。

3つあわさった儀式になったのは江戸時代後期といわれています。

三歳の「髪置き」、五歳の「袴着(はかまぎ)」、七歳の「帯解き」。


3歳の男女が行っていた「髪置き」は、それまで剃っていた髪を

のばす儀式です。


どういうスタイルかと云うと、少し古いのですが、「子連れ狼」という番組を

覚えていますか?

判らない方多いのでしょうね。

あの子役の大五郎の髪のスタイルです。

あれは、髪置きをする為に、あのスタイルにしてるのです。

「櫛置き」ともいいます。鎌倉・室町時代の公家や武家で行われていました。

昔は、年齢や地位によって髪型が異なり、髪にまつわる行事やならわしが

たくさんありました。白髪に似せた帽子を子供にかぶらせて、

「白髪が生えるくらいまで長生きするように」と願う行事もありました。

  髪結い
メタボンのブログ

続く