武士の家計簿」磯田道史著

2010年公開された映画「武士の家計簿」

監督の森田芳光さんは先年惜しくも亡くなりましたが、ご覧に

なった方も多いのではないでしょうか。

私も、映画館ではなく(もう何年も行ってません)昨年テレビで

放映したのを観ました。

大変面白い映画でした。

しかし、原作はもっと面白いです。

是非、ご一読ください。


江戸の普通の武士の家庭の明治に至るまでの歴史が

書かれています。

一軒の武士の家の30年以上にわたる細かく書かれた家計簿です。

そこには喜怒哀楽、悲喜こもごもが描かれています。


ちなみにこの古書を、著者の磯田道史氏は神田の古書店で16万円で

購入したそうです。

家計簿をつけている皆さん、又、これを機会に家計簿を付けようとする皆さん

キチンと継続し付けておくと、若しかすると200年後貴重な資料として

取り上げられるかもよビックリマーク

  古文書
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その家の名は「猪山家」、加賀藩百万石の下級藩士。

算盤を武器として何代にも亘って加賀藩に仕えてきた家です。

平穏に過ごした訳でもありません。山有り谷有り、今で言う破産寸前

まで行ったことも有り、家の中の物全部売り払ったり大変です。


これはどの武士の家でも当てはまるものであり給与が増えないで借金

ばかり増えていくのです。

これには色々な原因が有りますが、それは後ほど触れます。


この家計簿を書くことになったのも、破産寸前になり家計を立て直すために

作り始めたそうです。

それが遥か後の世になって公開されるとは思いもよらなかったでしょう。

  加賀藩江戸藩邸
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猪山家の中に入る前に、江戸時代の仕組みについて予備データも入れて、

説明しないと判りにくい面が多いので、このブログを読む皆様には、

御存じの事と思いますが、重複を懼れず説明します。


江戸時代、武士の給料は米(玄米)で払われました。

そして食べる分以外の米を両替・現金化し生活してきました。

武士の給料は、関ヶ原の戦いの働きぶりで決められて、江戸264年間の

間は給料のベアアップは無し、米の値段は変わらずに諸式の物価は

どんどん上がっても、給料はそのまま、必然的に生活は苦しくなります。


武士の総数の増減も無く、また、武士に支払われる石高の総数も

枠が有るので上位の武士がしくじるか、そのポストが空かないと

出世は出来ません。

与えられたポストで頑張るしかありません。

要するに年々貧乏になって行くわけです。

 武士の外出
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しかし、武家の交際費は減らすことが出来ません。

家の格式というものが有り、其れなりにかかる仕組みです。

例えば、主人が一人で出かけることは有りえないし、其の為には

お供の人を雇わなければならないとか。

武家社会で生きるには、さまざま儀式・行事に参加していくことが

必要になっています。

江戸の場合ですと、人が大勢いたので口入宿という紹介所を通して、

仲間(ちゅうげん)を雇い外出の際に恰好を作ることが出来ました。

しかし、地方ですとそのようなものは少ないです。

従って、人を常雇いします。人を雇うと金がかかります。

口入宿については、佐藤雅美著「物書き同心」シリーズをどうぞ。


  200石級の旗本の登城
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江戸は、武士の最下級である「サンピン」もいました。

サンピン」すなわち「三両一人扶持」とは、1年間の給料が現金3両と

米1.8石(1日5合の計算)ということで、1両を1石、年貢率を5割と

すれば約10石に相当します。

3両1人扶持でも、仲間(ちゅうげん)とは違って両刀をたばさみ、

羽織も袴も必要です。
非番の時は内職に精を出します。


300石の旗本は600坪くらいの屋敷を拝領し、家来は用人、若党、

門番、槍持、仲間、草履取りがいます。

奥には女中、下女、飯炊きがいる。

戦になると、馬に乗りその周りには槍持ちや馬の口取りや、草履取りなど

の人が居る。


中に一人だけ武士身分が居る。その人が若党である。

いわば、武士になりたいという志願者です。

しかし、時代が下がるとこの給与でさえ、武家は負担するのが無理に

なってきます。

そこで臨時雇いの奉公人が増え、これを渡り用人、渡り中間と呼んだ。

これらの人は、武士としてのモラルや知識が無いものが多く、色々な

問題を起こすのである。


続く

   江戸初期 武家屋敷