題名は「奥の細道」。
12年前にNHKで放映された30分番組で31回に亘って再放送された。
旅の途中、栃木に入ってからの視聴でありましたが、中々、
見ごたえのあるものでした。
最近の私のブログ「奥州道」を読んでいる方はお気づきかと思いますが、
やたら芭蕉が登場して來るのは実はこの影響からです。
映像から伝わってくる印象はとても強く本からでは得られないものです。
「百聞は一見にしかず」ですね。
不満を言うならば、コメンターが出演するのですが、やはり合わないというか、
当を得た人でない方もいます。
その辺は好みもあるので難しい問題なのでしょうね。
ついでにもう一つ。
ケーブルテレビの広告は、全部と云っていいほど、健康関連ですね。
嫌っというほど聞かされます。
おらゆるメーカーが作っています。
もう一つは、芭蕉は奥州から横断して山形・秋田から日本海沿岸へと
旅するのでブログでもお別れしなければならないことです。
でも、芭蕉の旅を見ていると、もう少し一緒に居たいような気もします。
那須 「かさね」という名の少女と同行。
「かさね」という名を気に入ります。
芭蕉は、敬愛する西行法師の後を追い、そして、歌枕の地を訪ねたいと、
道祖神に招かれ旅に出ようと股引を縫い、笠を繕い、野垂死の覚悟をして
旅に出ます。
3月に江戸を出て、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」
8月に岐阜の大垣に到着、「蛤の ふたみにわかれ行く 秋ぞ」
半年にわたる奥の細道の旅は終る。
この時、芭蕉46歳。
現代であれば、働き盛りですが江戸時代では、家によっては
隠居をする人も珍しくなかった時代です。
そして、5年後、芭蕉は最後の時を迎えて、遺書を兄・松尾半左衛門に
書きます。
御先に立候段、残念可被思召候。
(私が先に死ぬことを残念に思われることでありましょう。)
(兄上には、何時までも長生きをなさって頂いて、
その後に心静かに死に臨んで欲しい)
から始まる遺書である。
穏やかな心が伝わってきます。
危篤の報は全国に伝わります。
芭蕉最後の時、比較的近い距離にいた故郷・伊賀の門人は
一人も臨終に立ち会ってない。
これは、実家の家族を悲しませたくないと考えた芭蕉が
伊賀にだけは報せないように命じたためである。
故郷について深い愛着を持っていた芭蕉
ならではの事である。

