この玖珂本郷村は広い。
左に氷室獄がある。氷を蓄えているのでしょう。
右には寺が並んでいて、その中に岩国茶屋がある。
向うに「蓮華山、古城山。
「西遊雑記」では、玖珂駅に宿泊し二井寺(真言宗で極楽寺)に至る。
この寺は聖武帝の勅願所で、昔は七堂伽藍ありて数ケ寺ありしに、
今はようように小院4ケ寺残りて、吉川家より100石寄せられる。
赤井、桜井と称せられる聖水あり。
是を以って、二井寺と号せるにゃ。
二井寺山極楽寺
天平16(744)年創建。聖武天皇の勅願寺となる。
二井の名は、名水が閼伽井と桜井の2か所あることに由来する。
又、「小春紀行」では、「ここを金明というは道の左に宝光山金明寺という
法華宗の寺あればなり。
これより金明峠に掛かるに七曲り峠と云えど、急なる所は丸太を横たえて
足止めす。みな山間を切り通しして険しき所なり。
石橋を渡りて右に岩石ありて谷の流れ深し。左右共に峰岨立ちて、
正に深山幽谷というべし.九州の冷水峠よりこなたにかかる険しき処なし。」
と、山陽道随一である難所の金明峠(中峠)の様子を伝えている。
金明峠

案内板の説明では、
古代の山陽道が日本の最も古い道として歴史にでてくるのは、
日本書紀によると飛鳥時代の天武14年(685)のことであり、
その後大宝令(701)により、時の都大和から全国七道の中では
唯一の大路として、筑前大宰府を往来する要路として整備され、
野口には駅家も置かれた。
豊臣、徳川時代には参勤交代や庶民の街道として玖珂の宿駅と
共に利用された。
万葉集に出てくる
「周防なる磐国山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道」
という和歌は奈良時代の天平2年(730)大宰府の少典山口忌寸若麻呂が
この峠が周防国の道筋で最も厳しいところであることを謡ったという。
欽明寺
欽明天皇(540-571)が御幸の際、休息され欽明の名を寺号と
したとされる古い歴史を持ったお寺で、欽明路峠はこの寺名
にちなんだものである。

周防源氏武田氏屋敷跡と墓地
天文9年(1540)安芸源氏の武田小三郎は毛利元就の援助により
欽明路に移り、周防源氏の祖となった。

祥雲寺

玖珂町谷津の寺ヶ浴に所在した24坊からなる大寺院であった。
弘治元年(1555)安芸の戦国大名毛利元就軍に攻められ
鞍掛合戦で焼失した。
菅原神社

杉氏の末裔でもある岡氏が、天災や疫病が続くのは弘治元年(1555)の
鞍掛合戦で非業の死を遂げた杉隆泰父子一族郎党の祟りではないかと思い、
岡家邸内に防府天満宮から分霊を勧請して天満宮を祀ったという。