古くは深志城(ふかし)と呼ばれます。「松本城」と呼ばれるのは信長が倒れて
家康の領土になってのことです。
室町時代、足利尊氏の武将の小笠原貞宗が信濃守護となり築造。
後に武田信玄が攻略し、小笠原氏は村上義清を頼り、村上は上杉謙信を頼ります。
こうして武田・上杉軍の激突が近づいてきます。
武田が倒れ、信長が倒れると、再び混乱の時代になります。
そして、家康の支援を受けた小笠原貞慶が深志城に入り、この時、松本城になります。
親町3町に、24の小路からなる松本城下は、各種の問屋・職人を擁した商業都市として
又、善光寺街道随一の宿場町として多くの人で賑わっていました。
最盛期には人口1万人を超える人を数え、正月の初市及び宮村・岡宮神社の夏祭り
には近郷から集まってくる人々での姿が満ち溢れて、今も伝統が残っている。
手によって大規模な改修を加えられたものです。
城跡は国史跡に、天守、小天守、渡り櫓は国宝に
指定されています。
更に、寛永10年(1633)には、辰巳付櫓、月見櫓を
増設、是も国宝に指定されています。
太鼓門が築造されたのは、文禄4年(1595)の頃と
されている。
その後、失われていたが平成11年再建された。
又、二の丸の西側から延びる朱塗りの「埋の橋」昔の絵図を基に再建されたもので、
埋門に架けられたところから「埋の橋」(うずみのはし)と名付けられた。
三の郭 大手門



