昔、嵯峨天皇の命により九州の宇佐八幡をこの地に移し祀ったことで

武田八幡神社と呼ばれるようになったという。


信義はこの武田八幡宮の前で元服し、武田の姓を名乗ったことからも

此処は武田発祥の地であると云っても良いでしょう。

その後、武田信義がこの地を治めるに当たり氏神として敬い、その後の

武田家から深い尊敬を受けた。


境内にはいると石垣の上に建てられた台輪鳥居と呼ばれる室町期様式の石の鳥居がある。

両側に武装した神像を配した随身門は、左右にある石段を登る珍しいものです。



父・信虎を粗暴であるとして駿河に追放した信玄が、甲斐の国主として、この本堂を再建します。

檜皮造りの本殿は、棟木に貼り付けられた建造由緒を示す棟札と共に、国指定の重文になっています。


又、軒周り、妻飾りの趣向や内部の金箔や朱塗りが施された豪華さ・巧みさは見る人の目を惹

きつけて止みません。



メタボンのブログ
この神社に納められている勝頼夫人の願文も有名です。

追いつめられた勝頼の戦勝を祈願し切々と願い奉納した願文は

人の心を打ちます。










願文(読みやすくなっています)


うやまって申す 祈願の事


「南無帰命頂礼 八幡大菩薩 此国の本主として 武田の大郎と号せしより此かた 代々守り給ふ 

ここに不慮の逆臣出来たって 国家を悩ます よつて勝頼 運を天道にまかせ 命を軽んして 

敵陣に向かふ 然りと雖ども 士卒利を得ざる間 その心まちまちたり なんぞ木曾義昌 

そくばくの神慮をむなしくし 哀れ 身の父母を捨てゝ 奇兵を起こす これ自ら母を害する也

 就中勝頼累代重恩の輩 逆臣と心をひとつにして たちまちに覆さんとする 万民の悩乱 

佛法の妨げならずや そもそも勝頼 いかでか悪心なからんや 思ひの炎天に揚がり 

瞋恚なを深からん 我もここにして 相ともに悲しむ 涙又闌干たり 神慮天命まこと有らば 

五逆十逆たる類 諸天 かりそめにも加護有らし 此時に至って 信心 私なく 渇仰肝に銘ず 

悲しきかな 神慮まこと有らば 運命此ときに至るとも 願わくば 霊神力を合わせて 勝つ事を 

勝頼一己に付けしめ給い 敵を四方に退けん 兵乱 還って 命を開き 寿命長遠 子孫繁昌の事
 

右の大願 成就ならば 勝頼 我ともに 社壇 御垣 建て 回廊 建立の事 敬って申す」

                        天正十年二月十九日          源勝頼  内